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「アメリカも自衛隊も助けてくれない」石垣駐屯地に反対する86歳の確信

基地ができたら島が灰になってしまう

――アメリカに密接したキャリアを歩まれてきたのになぜ反戦運動を? 山里:生徒の頃(小学3年生のとき)に教わった担任の先生が、ひめゆり部隊の生き残りで、悲惨な体験を語ってくれたんです。話を聞いててわんわんと泣きましたよ。そうしたことを多感な時期に聞いたっていうのが自分の価値観形成に大きく影響したと思います。戦争が招いた悲劇を止めたい、戦争反対という意識が自分の中に芽生えたんです。
山里節子さん

山里節子さん

――その思いが反戦運動に繋がったんですね。 山里:そうなの。私はね、自分の戦争体験から、「基地ができたら、この小さな島はまず間違いなく戦場と化していく」と確信しているの。そうしたことは二度と起こってほしくないんです。今どきの戦争っていうのは大量破壊兵器を用いるでしょ。何か起きたら島ごと瞬間的に灰と化してしまうかもしれない、そういう危機意識もありますし。

新空港の建設と基地反対運動に参加

――実際に動いたのは? 山里:1980年ぐらいからかしら。今の空港がある白保地区でのサンゴの海を埋め立てて新空港を作るという沖縄県の計画に対する反対運動に参加していたんです。機(はた)織りの傍らで反対運動をやっていたんですが、そのうち滑走路建設反対運動のほうが忙しくなっていきました。 ――自衛隊の基地反対は? 山里:2016年からです。その年、市民に対して初めての駐屯地建設の説明会が開かれたんですが、私は会場に入らず、基地建設反対のプラカードを掲げました。犬の遠吠えじゃないけれど、外で抗議していたおばあたちが数人集まって、「これから何ができるか」みたいな話になって、立ち上がったのが、「命と暮らしを守るオバーたちの会」でした。今年3月の基地開設までは「作らせない」と言って、毎週日曜夕方、場所を変えながら集会をやってきました。
2022年12月(駐屯地の開設直前)にあった基地反対ののぼりの数々

2022年12月(駐屯地の開設直前)にあった基地反対ののぼりの数々

――それでも基地はできてしまいましたね。 山里:そうなの。駐屯地は作られてしまったし、ミサイルも来てしまった。なので駐屯地開設以降は方向転換して、「ミサイルであれ基地であれ、撤去させるまで諦めません!」と主張し、闘い続けていきます。
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反戦の訴えがいまの若者に響かない理由
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