ジャーナリスト安田純平が語る「アフガン撤退に見る日本の“棄民体質”」
今年の8月15日、反政府武装勢力タリバンがカブールに侵攻、政権を掌握してから2か月がたった。暫定政府が樹立され、主要閣僚が9月7日に、その後9月21日に追加で閣僚が発表されたが、その顔ぶれを見ると、ほぼすべてがヒゲを蓄えたタリバン男性だった。
内務大臣には最強硬派のハッカーニ氏が選ばれる一方、女性閣僚が含まれなかったり、男性が鬚をそることを禁止したり。アメリカが根付かせようとした民主主義や社会進出といった成果から、後戻りするような施策を打ち出すようになった。
新しい体制となるアフガニスタンはどうなるのだろうか。そして、日本の海外在住邦人保護のあり方はこれでよかったのだろうか。アフガニスタンをはじめ紛争地を中心に取材してきたジャーナリスト・安田純平さんに話を聞いた。
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西牟田靖:8月15日、タリバンがアフガニスタンを制圧しました。10年前すでにタリバンが優勢だったことを考えると、遅いぐらいだと思いました。アメリカはこの20年の戦いでこの国に何をもたらしたんでしょうか。アメリカは人命と多額のお金をムダ遣いして“世界の盟主”の座から転げ落ち、アフガニスタンも被害の“もらい損”というか、気の毒だったと思いました。
安田純平:「テロリスト」と疑えば超法規的に問答無用で殺害し、拘束して拷問・虐待する「対テロ戦争」は、誤情報や思い込み、密告者からの讒言で無関係の市民まで犠牲にする構造的な欠陥があります。「それと同時に、民主主義や人権意識を定着させよう」ということ自体が矛盾しているうえに傲慢すぎるので、うまくいくわけがないと思っていました。米軍がここまで投げ出して去っていくとは思いませんでしたが、占領軍が去るということはこうなるということなので、時間の問題だったのかなと。
西牟田:安田さんがアフガニスタンに行かれたのはいつごろですか。
安田:2002年3月と2010年11~12月の2回出かけています。でも、タリバン政権が崩壊した後ですからね。西牟田さんのように、旧タリバン統治時代に行った経験のほうがずっと貴重ですよ。
西牟田:貴重かどうかはわかりませんか、少なくとも当時との比較はできますよね。僕が行った1998年当時は、旧タリバン政権の時代。女性の教育や就労、スポーツや音楽といったものを否定する、過激な政権でした。女性はブルカを着用していて、顔を見ることはありませんでした。
安田:2002年3月に私が出かけたときはタリバン政権の崩壊後5か月で、「タリバンが怖い」という話をする人はいませんでした。それでも首都カブールを離れてカンダハルへ向かう途中、車内の女性全員がブルカをかぶっていましたよ。中でも、後ろの方に並んで座っていた若い夫婦が印象に残っています。車に酔った妻が夫の膝に身を預けていて、夫は妻の頭をブルカ越しになでたり、背中をさすったりして介抱していたんです。本当に仲が良さそうで。
西牟田:タリバン政権に強制されて、無理矢理かぶらされていたわけじゃないですよね。
安田:タリバン政権の強制などは関係なく、伝統的にそうしていたからでしょうね。
西牟田:カブールでは女性は顔を出していたんですか?
安田:カブールでは顔を出して歩いている女性をたくさん見かけましたし、単独で歩いてもいました。でも都市部から離れた農村部ではまた違う印象でした。
西牟田;カブール以外はタリバン時代と変わらない。それはパシュトゥン人の伝統とか生活習慣が、タリバンが国内に強いたことと大差がなかったからってことですか?
安田:そうだと思いますよ。だから公の場所で女性の顔を出していいとなっても、カブール以外では出したりはしない。バスでみた夫婦だってそう。彼らからすれば、2人だけの場所で、顔を出せばいいって思っていたんでしょうね。
西牟田:なるほど。人の心や伝統って、そう簡単に変わらないものなのかもしれませんね。
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