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お寺で祈る際は「氏名や住所をつぶやく」オカルトサイト元編集長が実践する、特殊な参拝作法とは

“本当とウソ”の境界線は何だろう

——オカルトを扱うときには「信じるか・信じないか」というスタンスの問題があると思います。角さん自身は別に何でもかんでも信じてるわけじゃなくて、最初は疑っているところから入りますよね。 角:そうですね。「面白いな」っていう意味では評価はするんですけど、本当かどうかっていうのはまた別じゃないですか。ウソを暴けるなら暴きたいっていうスタンスで行くんですけど、ヨコザワ・プロダクションの一件以来、最終的には自分が見たものを全部信じられなくなってきて。どこからが本当でどこからがウソなのか境界線がわからなくなってくるんですよ。私自身は物理とか科学の知識も乏しいので、説明がつかないことに関しては最終的には自分の脳や目を疑うみたいになってきて。何度見ても私は疑い続けるんだろうな、っていうのは思いますね。 ——でも、角さんのそのスタンスがちょうどバランスが良いのかもしれないですね。信じている人ばかりが発信していると、普通の人が面白がれないじゃないですか。 角:そうなんですよね。やっぱり懐疑派も含めて盛り上がることがバズる秘訣なので。ただまあ、何をやっても信じない人は信じないので。そこは置いてけぼりにするしかないんですよね。

恐怖心よりも好奇心が勝つタイプ

——頑なにすべてを信じようとしない人は、自分に理解できないものがあるのが怖いんじゃないですかね。逆に不思議なものを人一倍恐れているんじゃないかという気もします。 角:そこは怖がらないで突っ込んでいってほしいですけどね。 ——そういう意味では、角さんって怖がらないですよね。結構危険なことにも飛び込んでいくじゃないですか。それはやっぱり恐怖心よりも好奇心が勝つからなんですか? 角:好奇心が勝ちますし、やらないよりはやった方が得だってどこかで思ってるんでしょうね。これもオカルトな話になっちゃうんですけど、昔、歯科治療のときに笑気麻酔でぶっ飛んだことがあるんですよ。そのときにカチャっていう音がして、おでこのところの「第三の目」が開いたんです。実際の両目は閉じてるんですけど、病室の空間とか先生の顔とかが全部見えたんですね。 それで、これは完全に覚醒したなと思って深い瞑想をしていたら、パラレルワールドみたいなところに飛んでいって、そこに人が並んでいたんです。行列の先にはコンビニのレジのようなものがあって、人が手を差し出すと、そこに機械を近づけて、その人の値段みたいなのが出てくるようになっていたんです。 そのときに、新しいことをたくさんやっていた人ほど値段が高かったんですね。毎日同じような生活をしていた人は値段が低かったんです。その光景を見たときに、新しいことをやんなきゃいけないんだな、って思ったんですよね。
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10年前に死にかけて「幽体離脱」した
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お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『教養としての平成お笑い史』など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで

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