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「家には居場所がなかった」渋谷の“ヤマンバ”ギャルが結婚・出産、母親となった今思う“家族の大切さ”

すれ違う親子関係…あぢゃさんを変えた祖母の言葉

あぢゃ「パパは私がなんでそんな状態になってるのわかってるから“きたきた”って感じで受け止めてくれてましたね。もうひどいときは『お前が死ねばよかったのに!』とか言ったりして。本当はそんなこと全然思ってないのに」  またしても甘えたいという気持ちが歪んでしまう。もちろん気分は晴れない。それどころか母にしたことを再び繰り返してしまう自分に後悔ばかりが残る。  あぢゃさんは次第に父と距離をとるように。そして渋谷だけが彼女の居場所になった。  仲間たちと遊び呆ける日々。そんなある日、たまたま家に帰っていたあぢゃさんに、同居していた祖母が話しかけてきたとか。 「おばあちゃんが言うんです。パパ暗い部屋でひとりで泣いてたよ、あんたいつまでもそんなことしてたら親2人ともいなくなっちゃうよって」  父もまた最愛の人を亡くし悲しみに暮れていたのだ。あぢゃさんの前では気丈に振る舞いながらも、本当は彼女と同じ気持ちを抱えていた。 「おばあちゃんにそう言われて現実に戻ったというか。私パパがいなくなったらやばいかもと思いましたね」  もう親を失いたくない。あぢゃさんは父との関係を見つめ直すことに。 「おはよう」と挨拶することから少しずつ声をかけ始めた。帰りが遅くなるときや友人の家に泊まるときには必ず電話で報告することも決めた。  不器用ながら変わろうとするあぢゃさん。父はその変化を誰よりも感じ取っていたに違いない。ささやかなコミュニケーションを取っていくなかで、二人の関係はゆっくり修復していった。 「大人の言うことは信じるべきだと思ってても、どうしても反抗したい気持ちが勝っちゃってたんですよね。内心は(親の言う通りだよな……)とか思ってるんですよ。あんまり素直になれなかった気がします。大人のことは嫌いだけど好きだったんですよね」  今ではすっかり仲良しになりベッタリだという。ヤマンバ時代の友人からは「あぢゃは本当にパパ大好きだよね」と言われるほどだとか。

結婚と出産、その影にあった葛藤

家族

現在は二児の母に(提供写真)

 そんなあぢゃさんだが、幼くして母を亡くしたことから“家族”に強い憧れがあったそう。30代となり婚活を始めて2020年に結婚、その後2021年に第一子、翌年には第二子を出産した。  一見順風満帆な家庭にも見えるが、その影には様々な葛藤があったという。 「結婚前から子宮の病気を持ってて、10年以上治療を続けてたんです。治療を始めた頃は医者からこのままだと妊娠できるかどうかと言われるほど危ない状態で。子どもは欲しかったから通院はしてましたけど、心のどこかでは諦めてたんです。夫と結婚するときも、子どもを作るのは難しいかもって話をして」  一時期は子どもを主人公にしたドラマや映画を観ることすら辛かったとか。そうした中、子どもに恵まれたのは偶然が重なったおかげだと語る。 「38歳でなんとか妊娠して、翌年には2人目を授かれて。治療をはじめたときは結婚の予定どころか相手もいませんでしたけど、今こうして夫に出会えて、子どもにも恵まれて、本当にすごいことだなと思います」  あぢゃさんの父も大喜びだったという。 「パパに報告したときはヤバかったですね!もう号泣!1人目ができたときは私の病気のこともあってどうなるかわからなかったから、安定期に入ってから報告したんですけど。パパもまさか自分に孫ができると思ってなかったみたいで。大喜びでした」
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1994年生まれ。リアルサウンド編集部に所属後、現在はフリーライターに。『リアルサウンド』『日刊サイゾー』などで執筆。またnoteでは、クォーターライフクライシスの渦中にいる20代の声を集めたインタビューサイト『小さな生活の声』を運営している。

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