更新日:2024年07月31日 19:26
エンタメ

自称“原色人類”ガングロギャルのその後…19歳で渋谷を離れ選んだ道「仕事も勉強も楽しかった」

 平成ギャルがトレンドになっている昨今。見た目だけではなく精神性にも注目が集まり、ポジティブに自分らしさを貫くマインドが支持されているという。そうした再ブームで気になるのは、かつて渋谷センター街を賑わせていたギャルたちの今だ。10代・20代を謳歌していた彼女たちは、年齢を重ねてどのような女性になっているのだろう。
塩澤麻衣

16歳の頃の塩澤さん(株式会社 大洋図書/egg編集部)

 今回登場するのは、90年代に雑誌『egg』の読者モデルとして活躍した塩澤麻衣さん(42歳)。当時ガングロギャルだった彼女は、自らを「原色人類」と呼び、ガングロ×原色ファッションスタイルで注目を集めていた。  それから20年以上が経ち、塩澤さんはエステティシャン兼サロンオーナーとして美容業界で活躍しているという。彼女のリピーターも多く、数々の芸能人の御用達サロンとしても知られているようだ。そんな彼女にギャル時代から現在に至るまで話を聞いた。

女優志望からガングロギャルへ。『egg』読者モデルになるまで

塩澤麻衣

現在の塩澤麻衣さん(42歳)

 塩澤さんがギャルに目覚めたのは中学生の頃。“コギャル“が世間に注目され、渋谷では黒肌がブームの兆しを見せていた。  当初は女優を目指していたという塩澤さん。劇団に入るもなかなかオーディションに受からず苦しい日々が続いていた。そんななか何気なく渋谷の街を歩いていると、肌が焼けている女の子たちの姿が目についた。 「次はギャルがくるんだなと思いましたね。学生の頃って流行ってるものに飛びつきたくなりませんか? 彼女たちをみてたら、私もすぐに日焼けしたくなって!女優になるなら焼いてはいけなかったので、自分はギャルになるんだって覚悟を決めました」  それが転機となった。高校生となり渋谷に通う頻度が増えると、すぐに雑誌『egg』の編集部から声をかけられた。場所はもちろん、マルキュー(SHIBUYA109)前。それをきっかけに読者モデルとして活躍するようになっていく。 「他の子たちとファッションが被らないように原色の服を着るように意識しました。それで自分のことを『原色人類』と呼ぶようにしたりして。どうしたら自分の個性を出せるかなってよく考えてました」
塩澤麻衣

株式会社 大洋図書/egg編集部

 個性的なモデルたちの中で埋もれてしまわないように、ギャルとしての自分をブランディングしていった。しかし時にはギャルコミュニティの中でこんな気を使う場面もあったという。 「当時のギャルの世界では、中途半端なギャルだといじめられることもあったし、あまり目立ちすぎると妬まれることもあったんです。そういう環境にいたので、周囲に合わせるコミュニケーション術を学びましたね。その場をうまく乗り切る能力が鍛えられました。それは社会人になってからも活かされてると思います」  そんな渋谷の女の子たちとうまく付き合いながらも、ギャルとしての自分に磨きをかけた。日焼けサロンで焼き続けた肌は、いつのまにか夜道を歩くと同化して見えなくなってしまうほどに。次第にガングロ化していく姿を横目で見ていた親からは「一緒に電車に乗りたくない……」と言われたこともあったそう。  自分流のスタイルを築いてきた塩澤さん。異性の目を気にすることはあったのだろうか。 「気にしてましたよ!ただそれで自分の見た目を変えたことはなかったかな。むしろ彼をかっこよくしたいタイプで。あの頃は派手な人が好きだったので、彼にも日サロに行かせてギャル男に変身させたりしてました(笑)」

エステサロンに就職した理由は「肌を白くしたかったから」

塩澤麻衣 ギャル仲間との付き合い、恋人との青春、モデル活動、さらにはあらゆる業界人との出会い……渋谷はいろんな経験をさせてくれる街だった。  とはいえ、そんな輝かしい生活にも飽きがくる。遊び尽くした塩澤さんは、19歳の頃にはガングロをやめて渋谷からも徐々に離れていった。そろそろ就職して地に足をつけた生活を送ろう。漠然とそう考えていた。  そんななか、アルバイトをしていた日焼けサロンの社長から「今度エステサロンを開業するからそこで働かないか」と声をかけられる。次は美白ブームがくる!肌を白くしたいと思っていた塩澤さんは、「これはチャンス!」と店舗の立ち上げに参加することにした。  そこには渋谷とは違う刺激があった。勉強が嫌いで大学に行かなかった塩澤さんだが、エステの勉強は全く苦にならなかったという。自分の施術で喜んでくれる人がいて、売上が上がれば会社からも評価される。仕事の達成感は彼女の承認欲求を満たした。 「エステの仕事はとても頑張れましたね。元々アルバイトは真面目にやるタイプではなくてどちらかといえば“使えない”って言われる方だったんです。でもエステのことになると仕事も勉強もめちゃくちゃ楽しかったんですよね」  それからは美容の勉強に止まらず、カウンセリング心理学も学び始めたという。 「23歳の頃ですかね。うつ病をお持ちの方をはじめて担当することになったんです。今だったらゆっくり相手の話を聞くことが一番だとわかるんですけど、その頃はまだどう接するべきなのかがわからなかった。それでどうしても心理学を学びたいと思ったんです」  この出来事は、塩澤さんのエステティシャンとしての理念へと繋がっていくことになる。
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エステサロンを開業するためキャバクラへ
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1994年生まれ。リアルサウンド編集部に所属後、現在はフリーライターに。『リアルサウンド』『日刊サイゾー』などで執筆。またnoteでは、クォーターライフクライシスの渦中にいる20代の声を集めたインタビューサイト『小さな生活の声』を運営している。

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●塩澤麻衣オフィシャルサイト
https://mai-shiozawa.com/
●ヒーリングオアシス(麻布十番)
http://h-oasis.jp/
●美尻研究所(銀座・麻布十番・心斎橋)
http://h-oasis.jp/bijiri
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