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中国で最も有名な日本人の一人・竹内亮。10年間住んでわかった“中国人の圧倒的な働き方”

竹内亮――。日本ではあまり耳馴染みのない名前だが、中国ではよく名の知られた日本人のひとりである。中国で最も影響力のあるSNS「Weibo」では、フォロワー数500万人以上を誇り、関連のSNSを総合すると約1000万人を超える。
竹内亮 再会長江

ドキュメンタリー監督・竹内亮氏

そんな彼の本職は「ドキュメンタリー監督」。4月12日には、第28回中国ドキュメンタリー長編映画ベストテンに選出された「再会長江」を新たに再編集した『劇場版 再会長江』が公開される。現地に住み、中国の“リアル”をとことん体験してきた竹内が語る「中国のすごさ」とは。

中国に目覚めたきっかけは“一目惚れ”

――竹内さんは、中国に行く前はどういったキャリアだったんですか? 竹内亮(以下、竹内):日本では、10年ぐらいドキュメンタリー制作会社の社員として、「ガイアの夜明け」(テレビ東京系)を作ったり、NHKの世界遺産の番組などを作っていました。元をたどると、高校生のときから映画監督になりたくて、映像を学ぶ専門学校に行ったんですよね。当時、新聞奨学生という、新聞配達をしながら奨学金をもらう制度があって、毎日新聞配達しながら、暇なとき読んでたんですよ。そしたら、現実社会の物事の方が、人が書いた脚本よりも面白いことに気づいて、「ジャーナリストも良さそうだな」と思ったんですよね。そこで、ジャーナリストと映画監督、何か合体したような仕事ないかなと思って出てきたのが「ドキュメンタリー監督」でした。ありのままの物語を映像で雄弁に表現できるっていうところに魅力を感じたんですよね。 ――そこから中国と関わりを持つようになるのはいつぐらいからだったんですか? 竹内:「ガイアの夜明け」で2005年ぐらいに、中国人インバウンドの特集をやったんですよ。まだ爆買いなんか全然起きてない頃で、当時の小泉首相が「クールジャパン」を言い始めた頃です。それで、中国人にインタビューしなきゃならなかったんだけど、中国語なんて話せないから、通訳を友達から紹介してもらったんですね。会った瞬間、僕が一目ぼれをしてしまって(笑)。時間はかかりましたけど口説き落として結婚することができました。 ――中国が好きで……っていうわけじゃないんですね。 竹内亮 再会長江竹内:先に奥さんありきです(笑)。奥さんが中国人だったから、バックグラウンドってどうなのかなと思って調べ始めたのがきっかけで、どんどんと中国にハマっていったっていう流れです。

日本のテレビ業界では「もう先が見えていた」

――ご結婚されてからは、奥さんの故郷でもある南京に移住したんですよね。南京大学にも留学していたとか。 竹内:だいたい2ヶ月ぐらいですね……もちろん、マスターするのは無理ですよ(笑)。1日13時間ぐらい勉強して、現地でとりあえず喋りまくって、HSK(中国語検定)4級までいったんじゃないかな。向こうの家族はもちろん全員中国人ですから、話して慣れるしかなかったですね。 ――そこまでの努力するということは、よほど「中国で新しいキャリアを築く」という意志が強かったんですね。 竹内:「行きたい」と思ったら32歳ぐらいのときだったんですけど、30代前半って、転職する人も多いですし、将来を考える年齢じゃないですか。僕も、もう先が見えてたんですよね。日本のテレビ業界で10年働いて、ある程度規模の大きい番組を担当して、あと何があるんだろうと思ったら、このままずっと同じことやり続けるだけ。「つまんねえな」って。もう1回、新しい環境で全くのゼロから挑戦してみたいと思って、それで移住しようと思ったんです。
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「中国に住んで怖い思いしない?」という日本人のイメージ
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