更新日:2024年07月30日 10:26
仕事

日本の“干し芋”がタンザニアのスーパーに。「アフリカにカルビーを創る」日本人男性の挑戦

日に焼けた青年に魅せられて

タマユタカ

契約農家からタマユタカを集荷しているところ(撮影:奥 祐斉)

育種学を専攻した長谷川さんは、コメの品種改良の研究にあけくれた。大学4年生になり、次々と就職していく同級生を横目に、長谷川さんは進路に悩む。研究は面白い。でも、この先に野口英世が取り組んだようなテーマがあるようにも思えない。世界に出て思う存分に活躍する仕事がしたい。そう思っていた頃に、大学の薄暗い階段の踊り場で長谷川さんの運命を変えるポスターに出合う。 それは、青年海外協力隊の隊員募集の案内だった。褐色の大地を背景にして、日焼けした青年が笑顔で木の苗を持っていた。 「アフリカで農業……。これだ!とその瞬間に決めました」 さっそく隊員に応募し合格するが、農業の実務経験がまったくない長谷川さん。八ヶ岳にある農業大学校を見つけて、1年間農業の実務体験をした後にタンザニアに向かった。

「全く役に立たなかった」タンザニアでの隊員時代

海外協力隊

海外協力隊の隊員時代の長谷川さん(長谷川さん提供)

1995年、24歳の時に、野菜栽培の協力隊として意気揚々とタンザニアに到着した長谷川さん。 ところが、日本とは風土や自然環境が全く異なるタンザニアで、長谷川さんは苦戦した。雨がよく降る日本と違いドドマは乾燥地域で雨が少ない。四季のある日本と比べ、1年中暖かいタンザニアの土は有機物がほとんど残らない。土づくりを重視する日本の農業知識は、タンザニアでは全く通用しなかったのだ。 このときを思い返して出てきたのが、長谷川さんの冒頭の一言だ。 しかし、「役にたっていない」とくじける長谷川さんではない。そもそも彼は「難しい問題に出合うと奮い立つタイプ」なのだ。各国の援助団体が莫大な予算を使ってもアフリカの農業開発が進まない事実を知り、この仕事に生涯をかけて取り組むことを決めた。 「一方的な援助は農家をむしろダメにする。どうしたらアフリカの農家の役に立つのだろう」この答えを見つけるために、帰国後、京都大学大学院でアフリカ地域研究科に所属し、アフリカの農村の研究をした。5年間の研究とフィールドワークの末にたどり着いた結論は、農家に必要なのは知識や技術ではなく、「経営」だということ。 そこで、経営について学ぶため、当時、経営力のある農業をしていると評判のワタミフードサービス株式会社(現・ワタミ株式会社)に就職する。「博士課程まで行って、居酒屋の店員?」と周囲はあきれた。しかし、頭でっかちの大学院卒にリアルな経営を叩き込んでくれたのは、ワタミの厳しい店舗経営だった。だが、その頃に子供が生まれ、長い就業時間から家族との時間が全くとれない働き方に疑問を持ち退職。 次の職場はアフリカ料理のレストラン。料理好きの長谷川さんはここで料理長として腕をふるうが、その一方で、自分がやりたい「アフリカで農業」からは離れてきていると感じ、1年で新たな職場に挑んだ。
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800人以上の農家を取材して
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民放キー局にて、15年以上にわたりアメリカ政治・世界情勢について取材。2022年にタンザニアに移住しフリーランスとして活動している。著書に『40代からの人生が楽しくなる タンザニアのすごい思考法』がある。X(旧Twitter):@tmk_255
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