更新日:2024年07月30日 10:26
仕事

日本の“干し芋”がタンザニアのスーパーに。「アフリカにカルビーを創る」日本人男性の挑戦

800人以上の農家を取材して

料理長からの転身先は農業専門の出版社だった。「農業技術通信社」でカルビーの契約農家向けに発行しているジャガイモ栽培の技術情報誌「ポテカル」の編集に携わることになった。この時にカルビーの経営スタイルを知り感銘を受ける。 カルビー社は独自の仕組みで約1,700戸の契約農家と協働してじゃがいもを栽培している。農家と二人三脚で商品の品質を改善していくという手間がかかるプロセスをあえて取り入れ、農家とのコミュニケーションに真摯に取り組むことで、結果的に業界トップになった。 「カルビーは契約農家が上手にじゃがいもを作れるようにサポートし、契約農家はカルビーの受入基準を満たせるように栽培を改善する。さらにカルビーの優れた商品開発力によって、買い取った原料をあますことなくヒット商品に加工しているんです。カルビーは農家と二人三脚で一緒にものづくりをしているというスタンスなんです」 多くの農業経営者を取材をしながら「アフリカにカルビーを創る」という構想が出来上がってきた長谷川さん。その頃、取材先で出合ったのが、ケニアでナッツ工場を経営する佐藤芳之氏だ。アフリカで農業をしたいという長谷川さんの熱い思いに意気投合した佐藤さんは、ルワンダでの新事業の経営を長谷川さんに任せた。アフリカでの経営を学ぶには絶好のチャンスだ。 ルワンダでマカデミアナッツ工場のCOOを任された長谷川さんだが、現地のCEOとの意見の相違が多く、口論の絶えない日々が続いた。思いの深いタンザニアに戻りたいと感じていた長谷川さんは、事業を他の日本人に譲り、タンザニアでのビジネスに本腰を入れることを決意した。

きっかけは1本の国際電話

干し芋と工場長

タンザニア産の干し芋と工場長(長谷川さん提供)

ルワンダに残り、タンザニアでの事業計画を模索していた長谷川さんに、ある日、サツマイモ農家の知り合いから国際電話がかかってきた。この電話が、その後の長谷川さんの人生を大きく変えることになる。電話の主は、雑誌の取材をしていたころから交流のある干し芋の老舗『照沼勝一商店』(現・株式会社照沼)の照沼勝浩氏だった。 「長谷川くん、元気?ところで、アフリカの人って干し芋を食べるかな?」 「いいえ、食べないと思いますよ」 勝沼さんにはそう即答したが、気になってタンザニアでのサツマイモの状況について調べた長谷川さんは驚いた。タンザニアには干し芋を食べる文化があること、日本の3倍以上のサツマイモが生産されていることを知ったからだ。さらに、日本では干し芋の値段が年々高くなっていることを知り、タンザニアで干し芋を作るという事業アイデアが浮かんだ。
サツマイモ

収穫したサツマイモを選別する契約農家(撮影:奥 祐斉)

やることが見えればすぐに行動に移す長谷川さん。資本を提供してくれる企業や投資家を募り、「タンザニアで干し芋を作ります!」と事業計画を熱く伝えるも反応はいまいち。そんな中、開発援助を行う政府機関のJICAでプレゼンをしたところ、当時の事務所長が支持してくれた。その後、照沼勝一商店の事業として支援事業にも採択される。JICAから最初の調査代金を受け取り、タンザニアの干し芋事業は動き出した。 長谷川さんが初めてタンザニアの地に足を踏み入れた時から20年近くたった2014年。照沼勝一商店や佐藤社長などから合計1000万円の出資を受け、マトボルワはスタートした。 干し芋作りに必要な気候、湿度、水質を考慮し、長谷川さんはかつて活動していたドドマに工場を建設した。こうやって干し芋作りに最適な場所を見つけ大きな一歩を踏み出したが、干し芋の開発までには予想以上の困難が待っていた。
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干し芋の開発に7年の歳月
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民放キー局にて、15年以上にわたりアメリカ政治・世界情勢について取材。2022年にタンザニアに移住しフリーランスとして活動している。著書に『40代からの人生が楽しくなる タンザニアのすごい思考法』がある。X(旧Twitter):@tmk_255
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