「24時間、真っ暗な部屋から出られない」“眼球使用困難症”を患った50歳男性の告白。公的支援も受けられない
「眼球使用困難症」。この病名を知る人はほとんどいないだろう。失明とは異なり、眼球や網膜、視神経には異常がないのに、目をうまく使うことができない病の総称だ。
日本に数百人しか患者がいないとされるこの病に、矢野康弘さん(50)は、2017年、突如として見舞われた。彼は、かつて“東京若手芸人の登竜門”と言われた劇場「シアターD」の元支配人である。
矢野さんは“光を見ることができない症状”が強く出ているようで、光を目に入れると脳を直接殴られたようなダメージがあり、頭痛、めまい、吐き気、ひどいときには気を失いそうになるのだという。つまり、“光がある場所にいることができない”ということだ。
矢野さんは東京都渋谷区生まれ。父親が営んでいた劇場をリニューアルし、お笑い専門のライブハウス「シアターD」を1997年に立ち上げた。2016年11月に惜しまれながら閉館となったが、約20年間、矢野さんは支配人として数えきれないほどのライブを企画・運営した。
劇場名を聞いて、ピンときた方もいるかもしれない。このシアターDは、爆笑問題、ネプチューン、バナナマン、バカリズム、東京03など、今やテレビの第一線で活躍する芸人たちが若手時代に芸を磨いた場所なのである。伝説的なコント職人・ラーメンズが初単独ライブを行ったのも、この劇場だった。
「小さい頃から、芸人さんに触れる機会が多かったです」と矢野さんは語る。舞台の前座や幕間で、まだ日の目を見ない芸人たちが自らの芸を披露する姿を、幼少期から見続けてきた。そのなかには、若き日のコント赤信号の姿もあったという。
さらに、音楽ユニット「桑田研究会バンド」として、2016・2017年の2回、フジロックフェスティバルのステージに上がった経歴も。
自身が敬愛するサザンオールスターズ・桑田佳祐氏のコピーバンドを仲間と結成。YouTubeに動画をアップしはじめたのが音楽業界人の目に留まり、ライブを重ねるうち、フジロックフェスティバルのステージにまでのぼりつめた。
そんなエンターテインメントに囲まれた日々を過ごしていた矢野さんに、「眼球使用困難症」の症状があらわれたのは2017年のことだった。
「はじめはドライアイだと思ったんです。あるとき、とにかく目が乾くようになりました。それで眼科で目薬をもらったんですけど、全然治らなくて……。それが7~8ヵ月続いたころ、朝目覚めて電気を点けたら、部屋の灯りが異常につらく感じたんです。そこから人工光がキツくなっていくのは早くて、給湯器のリモコン、お風呂の設定40℃とか、あの文字盤を見るだけで具合が悪くなるようになりました」
発症当初は、電灯をはじめ、スマホやPC、テレビなどの人工光だけだった。しかし病状はしだいに悪化。徐々に太陽や月の光、自然光からも深刻なダメージを負うようになり、2021年1月には、人工光・自然光ともに目にすることができなくなった。そして2023年12月からは一歩も外に出ていないという。
現在は、遮光カーテンを閉め切った完全に真っ暗な部屋で、アイマスクの上から、さらに顔全体を覆う遮光ドームを被せた状態で24時間過ごしている。
眼球使用困難症の原因や治療法などは解明されておらず、患者数が少なく認知度も低いこともあってか、研究が進んでいないようだ。その結果、現時点では厚生労働省が定める「指定難病」に入っていないという。つまり、患者は行政からの公的支援が受けられないということ。妻の久美子さんが在宅ワークをしながら、矢野さんを付きっきりで支えている現状だ。
「病気そのものが、一般の方はもちろん、行政にも認知すらされていないのが実情だと思います。だから議論する対象にすらなっていないんです。そうなると、まずは知ってもらう努力をするしかないと思っています」
エンターテインメントに囲まれた日々
「指定難病に入っていない難病」との闘い
フリーライター。神戸・大阪の編プロに8年勤務し、グルメ・街ネタ誌や飲食業界誌などを手がける。取材経験は1500件以上。某純文学新人賞の最終選考に3度残ったことがある。現在はWEBサイト「LIQLOG」などで、ビギナーにやさしいお酒の基礎知識や取材記事を執筆中
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X(旧Twitter):@kawase_syota
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