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「平安京への遷都(794年)」の理由は“怨霊”だった…学生時代に習った日本史は間違っている?

教科書にも遷都は怨念の仕業と記述されている

 これは、すでに研究によって知られていた事実だが、昔の教科書は、科学的でないと考えたのか、平安京遷都の理由を長岡京が二度の洪水に見舞われたからとしていた。しかし、近年は以下のように記されている。 「早良親王はみずから食を断って死に、その後、桓武天皇の母や皇后があいついで死去するなどの不幸が早良親王の怨霊によるものとされた。そのほか、長岡京がなかなか完成しなかったことも、平安遷都の理由とされている」(『詳説日本史B』山川出版社 2018年)  このように教科書も遷都は怨霊の仕業としているのである。

道真の祟りに苦しめられた醍醐天皇

『逆転した日本史~聖徳太子、坂本龍馬、鎖国が教科書から消える~』 ちなみに桓武天皇のほかにも、怨霊に苦しんで死んでいった歴史上の人物はたくさんいると、河合先生が言う。 「醍醐天皇は、『右大臣の菅原道真が娘婿の斉世(ときよ)親王(醍醐の弟)を即位させようと企んでいる』という左大臣・藤原時平の讒言(ざんげん)を信じて道真を大宰府に左遷しました。  しかし、道真の死後に天変地異が相次ぎ、時平も若くして急死、宮中にはたびたび雷が落ち貴族が死んでしまいました。  このため朝廷は道真が怨霊(雷神)化したと恐れ、その鎮魂のために北野天満宮や大宰府天満宮を建立した。なお、醍醐天皇も息子や孫を失い、それを道真の祟りだと信じて失意のうちに亡くなっています」
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藤原道長も怨霊の犠牲者だった!?
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歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。 1965 年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』『日本史の裏側』『殿様は「明治」をどう生きたのか』シリーズ(小社刊)、『歴史の真相が見えてくる 旅する日本史』(青春新書)、『絵と写真でわかる へぇ~ ! びっくり! 日本史探検』(祥伝社黄金文庫)など著書多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017 年に上梓。

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