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桜井日奈子、「劣化した」心無い声に悩んだ日も。今は「筋肉質な自分の体」を誇れる

 覚えやすい愛称やキャッチコピーが浸透することは、芸能人にとって喜ばしいことだが、あまりに大きすぎる言葉は、重荷にもなる。桜井日奈子は、2014年に「岡山美少女・美人コンテスト」で「美少女グランプリ」に選ばれ、翌年には全国区のCMに抜擢。一躍“岡山の奇跡”として有名になった。 「桜井日奈子10周年記念写真集 鴇色」(東京ニュース通信社刊)正直、「私にはありがたい反面、ちょっと大きい言葉でした」と振り返る桜井。そこから10年。キャリアを重ね、27歳になった彼女が「そんなこともありましたねと言えるようになりました」と笑いながら、ありのままの今、そしてこれからへの思いを語った。

上京当初、人の目を見るのも怖かった時期も

 デビューからほどなくブレイクしたものの、上京当時は街行く人の視線も怖かった。 「みんなから悪口を言われているみたいな感覚になってしまって。たぶんちょっと病んでいたんだと思います。人の目を見るのも怖かったですし、通りすがりに『桜井日奈子ってさ~』と言われている気がして。そんなわけないのに」。  今では俳優業はもとより、バラエティ番組での明るい素顔も人気だが、当初はバラエティも苦手だった。 「最初は緊張して声も高くなっちゃったりして。周りの方も若い女優相手にどう触れていいのか分からなかったと思います。今は自分でボケたりふざけたり、突っ込んでいただいたりする楽しさに気づき始めて、バラエティ番組も大好きです!」。  特に2020年に放送された『その他の人に会ってみた』(TBS)で、「えび大好き女優」としてエビに食らいついてみせた体当たりのロケ映像は、大評判となった。 「平成ノブシコブシの吉村(崇)さんにも『とんでもない女優だ』とイジってもらえて。ロケ中は分からなかったのですが、スタジオですごく笑ってもらえて、自分で言うのもなんですけど、『跳ねた』という初めての感覚でしたね。いまだに吉村さんに会うと、『エビ、食べてる?』と声をかけてもらいます」。  かつて多かった「岡山の奇跡の」との枕詞つきの紹介も、いつの間にか、ただ「桜井日奈子さんです」と紹介されるようになっていた。

デビュー10周年の記念写真集では“馬尻”を披露

 デビューから10周年。9月6日には、記念写真集の『鴇色』を発売した。写真集自体は3冊目だが、今回は初の水着を披露している。
「桜井日奈子10周年記念写真集 鴇色」(東京ニュース通信社刊)

「桜井日奈子10周年記念写真集 鴇色」(東京ニュース通信社刊)

「ネガティブな意見もあったんです。『なんで脱いじゃうの? 切羽詰まってるの?』って(苦笑)」。  実はこれまで自身の体型にはコンプレックスを持っていた。 「バラエティ番組に出るときでもなるべく肌を隠したり、ボディラインの出ない衣装を選んでいました。  デビューからずっと、もう8年くらい、痩せるために頑張っていたのに、『太った』とか『劣化した』とかいう声が止まなかった。もともとバスケをずっとやっていて、筋肉質なこともあって、どうしても周りの細い子と比べてしまって、落ち込んで……」。  傷ついた時期もあったが、あるときから成果が出るようになったという。 「どうしてこんなに自分の体が嫌いになっちゃったんだろうと、すごく考えました。『ぽっちゃりしたよね』と言われて、どんどんストレスが溜まっていた。なぜ無理して華奢にならなきゃいけないんだろう。だいたい私は一生懸命やっていて、決してサボっていたわけじゃないのに。  それで『何がダメなの? ちょっと筋肉質な自分の体もいいじゃん!』と思えるようになったら、すごく気分が楽になったんです。ボディメイクが楽しくなって、みるみる成果が出るようになりました」。  だから初の水着には「私的には、前のめりでやってみたかったことなんです」と断言。 「いま私、お尻で100キロ上げられるんです。馬のような立派なお尻、“馬尻”だと誉められています。努力の成果を、ぜひ見てもらいたいです。『こういう面もあるんですよ』って。うふふ」と自信の笑みを見せた。 「桜井日奈子10周年記念写真集 鴇色」(東京ニュース通信社刊)
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放送中のGPドラマに「肩をブンブン回して挑んでいます」
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ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画周辺のインタビュー取材を軸に、テレビドラマや芝居など、エンタメ系の記事を雑誌やWEBに執筆している。親類縁者で唯一の映画好きとして育った突然変異。X(旧Twitter):@mochi_fumi

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