更新日:2024年12月12日 10:26
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日本最大の盆踊りの一つ「阿波おどり」を踊りすぎて処罰された武士がいた!?『禁断の江戸史』より

阿波おどりの「もう一つの起源」

阿波おどり ただ、この説は明治41年(1908)の『阿波名勝案内』(石毛賢之助編)に初めて登場したもので、史実だとするのは難しいという。  江戸時代の比較的早い段階で成立した『三好記』には、この地域の領主だった十河存保(そごうまさやす)(三好長慶(ながよし)の甥)が、天正6年(1578)に勝瑞(しょうずい)城下において、庶民の風流(ふりゅう)踊りを見物したという記録があり、その風流踊りこそが、阿波おどりの起源であるという説もあるそうだ。  風流踊りというのは、七月の盂蘭盆(うらぼん)に際して町や村が一つの構成単位となり、仮装して行列で練り歩く祭りのことである。

徳島藩は武士の阿波おどり参加を禁止に!

 いずれにせよ、起源ははっきりしないものの、阿波おどりの起源となる踊りは、四代将軍・徳川家綱時代の明暦2年(1656)には確実に存在した。  というのは、「盆の三日間だけ踊りを許可するが、寺院の境内に入り込んで踊ってはならない。また、藩士は野外に出ず、屋敷の中で踊るように」という徳島藩の通達が出ているからだ。 「町人との揉(も)め事を嫌ったのか、徳島藩は家中の武士たちが市中に出て踊ることを厳しく禁じています。  興味深いのは、それでも藩士たちは踊りのイベントに加わりたかったようで、屋敷の敷地に町人たちを招き入れて踊りを見物したり、自分の代わりに町で踊る者を雇ったりしていました。中にはこらえきれず、覆面や頭巾などで顔を隠して市中へ忍び込んで踊る者もあったといいます」
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阿波おどりを踊ったことが原因で、武士が改易される
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歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。 1965 年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』『日本史の裏側』『殿様は「明治」をどう生きたのか』シリーズ(小社刊)、『歴史の真相が見えてくる 旅する日本史』(青春新書)、『絵と写真でわかる へぇ~ ! びっくり! 日本史探検』(祥伝社黄金文庫)など著書多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017 年に上梓。

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