更新日:2024年12月12日 10:26
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日本最大の盆踊りの一つ「阿波おどり」を踊りすぎて処罰された武士がいた!?『禁断の江戸史』より

「稲田騒動」の勃発が阿波おどりの全面禁止につながった

切りあい「これが『稲田騒動』と呼ばれています。新政府はこれを知り、一時は茂韶の知藩事罷免(ひめん)も検討しましたが、結局、首謀者の徳島藩士・小倉富三郎ら十名を死罪とし、そのほか百人以上を処罰することで決着をつけました。  そして稲田氏に対しては、北海道の静内(しずない)と色丹(しこたん)島(現・北方領土)に新地を与え、彼らを士族に遇して移住させ、同地を開拓させました。  なお、このときの労苦は、吉永小百合主演の映画『北の零年』で知ることができます。こうした大騒動の勃発により、明治3年の阿波おどりは、開催が全面禁止となってしまったのです」

阿波おどりという言葉が定着したのは戦後

 明治4年、廃藩置県により徳島藩は消滅。だが、以後も阿波おどりは続いていった。ただ、日中戦争が始まると、自粛というかたちで昭和12年(1937)から再び阿波おどりは中止となってしまった。正式に復活したのは昭和21年のことだった。 「まことに意外ですが、『阿波おどり』という言葉が定着したのは、戦後になってからだといわれています」  大正時代から少しは使われはじめていたが、単に「盆踊り」と呼ぶのが一般的で、「阿波おどり」というのは地元でもなじみのない言葉だった。  それを昭和初期に徳島県の郷土史家・林鼓浪(ころう)が「阿波おどり」の用語を推奨。それが戦後に広まり、県外に知られるようになり、観光客が多く訪れるようになったのだ。  阿波おどりも意外な歴史があったようだ。 <文/河合敦>
歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。 1965 年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』『日本史の裏側』『殿様は「明治」をどう生きたのか』シリーズ(小社刊)、『歴史の真相が見えてくる 旅する日本史』(青春新書)、『絵と写真でわかる へぇ~ ! びっくり! 日本史探検』(祥伝社黄金文庫)など著書多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017 年に上梓。
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禁断の江戸史~教科書に載らない江戸の事件簿~ 禁断の江戸史~教科書に載らない江戸の事件簿~

江戸人はエジプトのミイラを薬として食べていた

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