更新日:2024年12月12日 10:26
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日本最大の盆踊りの一つ「阿波おどり」を踊りすぎて処罰された武士がいた!?『禁断の江戸史』より

阿波おどりが、全面禁止になりそうに……

三味線 徳島藩としては、徒党を組んで町人たちが競演するのを嫌い、江戸中期以降、何度も組踊りを禁止。  このため、江戸後期になると「ぞめき踊り」が主流になってくる。「ぞめき」に漢字をあてると「騒」となる。  字面(じづら)のとおり、三味線を筆頭に笛や太鼓を騒がしく奏(かな)でながら、個々に踊る形態に切り替えたのである。そして皮肉なことに、これが阿波おどりを飛躍的に発展させる結果になった。  型の決まった集団戦ではなく、騒がしくも単純なリズムにあわせ、個人が手をあげて横に激しく振り、足で地を蹴って進めばよい。  つまり、個人が踊りの列に容易に飛び入り参加できるようになったのである。ただ、組踊りのほうも消滅したわけではなく、明治期から「組」は「連(れん)」と呼ばれ、阿波おどりを主導する存在となる。

実際に禁止になったのはたった一度だけ

「阿波おどりを制限した徳島藩ですが、全面的に禁止することはありませんでした。  しかし、廃藩の一年前、たったの一度だけ踊りを取りやめさせたことがあります。明治3年(1870)の稲田騒動のときでした。  十二代藩主・斉昌に後継者がいなかったので、将軍・家斉の第二十二男を養子とし、十三代藩主としました。それが蜂須賀斉裕(なりひろ)でした。  このため、外様ながら幕末の徳島藩は親幕的であり、斉裕は幕府の陸軍総裁になっています。さらに多数の藩士を京都へ派遣して幕府の一橋慶喜に協力して公武合体政策をすすめました」
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徳島藩の知藩事として藩政改革をすすめた蜂須賀茂韶
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歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。 1965 年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』『日本史の裏側』『殿様は「明治」をどう生きたのか』シリーズ(小社刊)、『歴史の真相が見えてくる 旅する日本史』(青春新書)、『絵と写真でわかる へぇ~ ! びっくり! 日本史探検』(祥伝社黄金文庫)など著書多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017 年に上梓。

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