【香山リカ】小橋引退発表を受け、タクシーの中で泣きじゃくる!
【編集部より】
※突然ですが、香山リカ氏による不定期連載『人生よりサブカルが大事――アラフィフだって萌え死にたい!』が本日からスタートいたします。それでは、どうぞ。
「お客さん、寒い? 車内の温度、上げましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
「……やっぱり寒いんでしょ? 言ってくださいよ」
「いいえ! 寒いんじゃないんです!」
タクシーに乗っているあいだ、ドライバーと何度かそんな会話を交わした。
ドライバーは、私がやたらとハナをグスグスさせている音を聞いて、それが車内の温度が低いせいだと思ったのだろう。
私は、寒くてハナをすすっていたわけではない。
私は、泣いていたのだ。またプロレスで泣かされた。人生で何度め、いや何十回目のことだろう。
私はふだんなかなか泣けず、それでこれまでオトコに「かわいげがない」とフラレたり友人に「冷たいね」とあきられたりしたことも数多くあった。そんな私の数少ない“泣きの体験”のおそらく8割か9割は、プロレスがらみが占めている。プロレスには本当に「悲しいできごと」が多いのだ。
その日、12月10日は、なぜタクシーの中で泣いていたのか。それは、『日刊スポーツ』で前日、両国国技館大会で行われた小橋建太選手の引退宣言の記事を読んだからだ。
私は実際にその会場にもいたので、引退宣言は記事で初めて知ったわけではない。それでも、活字で「小橋が引退! 絶対王者ケガに勝てず」と見ると、またじんわり涙があふれてくる。
いや、活字だけではない。紙面には、リングでファンへのあいさつを終えた小橋選手が、長年なじんだ赤コーナーをいとおしそうにポンポンと叩く写真も掲載されていた。……これが泣かずにいられようか。
もちろん、私はプロレスを見て泣いてばかりいるわけではない。別のこともする。たとえば、応援のたれ幕も作る。
ノア両国国技館大会の4日前、12月5日の診療前、病院のパソコンでノアのサイトをぼんやり見ていた私は、「会場内に応援の『たれ幕』が飾れます!」という告知を見つけて「おおっ」と覚醒した。国技館は今年、最後の大きな大会。そこでこの1年、プロレスを見まくってしまった私も、いっしょに何らかのシメをしたい。……ってことは、たれ幕じゃー!
外来の診察が始まる前のわずかな時間に私の頭脳はフル稼働し、事務所のスタッフに「特命です。今日はほかの仕事はしなくてもいいから、日曜に間に合うようにたれ幕を発注してください。文言はこれで、デザインはこんな感じ」とメールを打った。
そして、午前の外来診療が終わり、それから大学に向かって講義を行い、夜、事務所に戻ると、従順なスタッフたちはホントにその日の仕事を放り出してパソコンでたれ幕のラフを描いたり、中二日で仕上げてくれる業者を探したりしていた。よしよし、それでいいのじゃー!
その日、夜は朝日新聞国際部の記者が、来るべき総選挙の第三極の動きについて取材したい、とやって来た。「えーと石原さんは……、さらに橋下さんは……」と分析しながらも気が気ではない。とはいえ、私もマスコミにかかわるようになって30年近く、記者の質問には無難に答えることができた(はず)。
取材が終わると、記者は意外なことを口にした。
「昔、カヤマさんが『現代思想』にプロレスのことを書いたの、読みましたよ。私もかつてはプロレスによく行ったんです。いまはさっぱりですが。カヤマさん、最近もプロレスに行く機会なんかありますか?」
行く機会があるか、だって?
冗談じゃない! それじゃ、機会がなければ行かないみたいじゃないか!
「まあねえ、行くには行きますよ、たまーにはね。ほら、いまだって……」
私は記者に、取材に背中を向けて一心不乱にたれ幕のデザインをしているスタッフたちのパソコン画面を見るよう、促した。
画面上では、業者に入校するたれ幕のデザインがほぼ完成しつつあった。
漆黒の横断幕に、両手を左右に大きく広げたマスクマンの白抜き画像。コピーはこうだ。
「やさしさと 切なさと 鉄仮面/マイバッハ谷口/武音武音会一同」
記者は、「し、失礼しました!」とそそくさと事務所を後にした。
勝った、完全勝利だ! 愉快じゃー!
プロレスで泣いて、プロレスで笑って。
こんな話、聞きたいですか? 聞きたくない、と言われたってどっちにしろ話すんですから、尋ねるだけムダでしたね……。
さあ、どこから話そうかなぁ。まずは今年の私の狂乱から、ってことにしましょうか。鉄仮面は熱いうちに打て、と言いますからね!
※ということで、急遽始まった香山リカ氏による不定期連載「人生よりサブカルが大事――アラフィフだって萌え死にたい!」。次回以降、今年香山氏が夢中になったプロレスについて語りつくす!
<文/香山リカ>
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