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青木さやかさんが明かす、長年疎遠だった母との和解「父の死で後悔したことを、繰り返したくなかった」

「親の面倒は子が見るもの」という価値観が、私たちを苦しめる――。求められる仕送り、消耗する介護に、心身の疲労が蓄積し、もう疲れたと自ら望んで家族関係をフェードアウトする人々が増加中だ。その切実な胸の内を聞いた。

両親の離婚を機に母の見え方が一変

[家族をもうやめた]人の肖像

タレント・女優として活躍する青木さやかさん

白か黒かで簡単に決められないのが人間関係。家族との仲に苦しみ、七転八倒しながら、最終的に和解へと到達する場合もある。タレント・女優の青木さやかさん(52歳)の場合がそうだ。 青木さんの両親は、共に教師。校長を務めたこともある母親は、幼い頃の青木さんにとって絶対的な存在だった。しかし、高校1年生のとき、両親の離婚を機に、母の見え方は一変する。 「母が大切にしていたのは世間体であり、その価値観から離婚はみっともないことだと思っていたはず。それでも両親が離婚を選んだのは……、『女』を優先したからだと私が勝手に思い込んだ。他にも背景はありますが、それまで信じていたものが崩れ、嫌悪感情につながりました」 両親の離婚後も、実家で母親と同居を続けていたが、家庭内での会話は激減。26歳のとき、お笑い芸人を目指して上京。お金が必要なときだけ母親に連絡する状況が15年近く続いた。

親子が登場しているVTRを見てつらい思いになることも

心の中で一方的に母と断絶する状態を続けながら、それでも、青木さんの気持ちが楽になることはなかった。 「母との関係が問題だという認識はずっと頭の片隅にある。だからといってすぐに解決できるとも思えず、心に蓋をしているような状況でした」 ’00年代前半、「どこ見てんのよ!」のギャグで一世を風靡して以降は、バラエティ番組への出演も絶えなかったが、親子が登場しているVTRを見てつらい思いになることもあった。 「家族モノを見るときは心ここにあらずで……、何か答えねばというのは頭ではわかっている。でも本当は自分が大変な状況なので、目を背けたいという感情のほうが勝っていました。極端な言い方になりますが、母との関係に悩んでいた間、心の底から笑ったことはなかったと言っていいかもしれません」 心境の変化が訪れたのは’19年。悪性リンパ腫の抗がん剤治療を続けていた母親がホスピスに入ったことだ。動物愛護活動を共に行っていた知人の男性に状況を話すと「今が母親を大事にする最後のチャンスだ」と声をかけられた。
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迷惑をかけた中でも母には謝りたかった
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