性別適合手術経験者に聞く、カミングアウト後の人生――女装小説家・仙田学の疑問
「女になったというより、女に戻ったという感覚です」
ドキュメンタリー映画『女になる』に主演した、中川未悠さんはそう言った。
この映画の企画を、未悠さんは自分から持ちこんだという。
「たまたま監督が、私の通ってる学校の先生の映画を撮ってたんです。それで紹介されて監督の映画を観て、監督とも会いました。企画をお話したのは、去年の2月。手術を受ける直前ですね。いまの自分を残して見返してみたかったんです」
自分を見返したいというだけでなく、その体験を社会に問い返したい、という強い思いが未悠さんにはあるように思える。僕がとても聞きたかったのはそのことだ。
映画に出演した後にも、さまざまなメディアで未悠さんが発信を続けているのはなぜだろう?
「そうですね……元・男性という過去は、自分のなかでずっと残っていくと思うんですよね。だから、同じような人のために発信していきたい。いまは、まわりは女性として接してくれてますけど、自分の中では過去は消せないんです。男性器がついていたり、学生時代に男として過ごそうとした時代。思い返すと悲しくて涙がでてきます。いじめはなかったですけど、からかいとかはありましたし。同じように悲しい気持ちでいる人たちに向けて、メッセージを送りたいんです」
未悠さんが、男性だった頃の辛かった過去を忘れられずにいることに、僕は驚いた。映画のなかで、未悠さんは多くの友人に囲まれている。どの友人たちも、未悠さんを尊重し、「女になる」道を選んだことを応援している。
これほどまわりから愛されている未悠さんでも、過去の記憶を断ち切れないのだ。
「からかわれても、笑いに変えてたところがありましたね。オカマって言われても、そうやでー、みたいな。内心傷ついてましたけど、まわりにあわせてました。強いねってよく言われますけど、家では泣いてたんですよ。だから、私みたいな人がいれば、そういうときこそ、自分を出せるようになってほしいと思います」
僕にも、未悠さんはとても強い人に思える。子どもの頃の未悠さんはどんな性格だったのだろう。
「我慢強かったですね。おとなしくて、電車でもちゃんと座れるし、育てやすかったらしいですよ。そういえば幼稚園のとき、おたふくかぜで入院したことがありました。脊髄に注射を打つんですけど、泣かずに我慢したんです。性別適合手術をしたときも、脊髄注射を打ちました。
自分の体に違和感を覚えたのは、小学校に上がってすぐくらい。水泳の授業のときに、男子に見られたくなくて、隠したんですよね。そしたら、からかわれました。見られたくないから隠してるだけなのに、なぜそういわれないといけないのか、不思議でした。あと、女友達の胸が出てきたという話を聞いて、なぜ自分は胸が出てこないのか悩んだりもしました。でも誰にも相談できなかったです。特に家族には」
自分には自然に感じられる違和感が、からかいの対象になったり、誰にも言えないことになったりする。なんともどかしい経験だろう。でも家族にも、それは言えなかった。
「自分が何者なのかがわからないよりは、自分に定められた悩みが知りたい。そういう意味では友達も大事ですけど、家族ってすごく大事ですよね。いざってときに助けてくれるのは家族だし。もしかしてその縁が切れちゃうんじゃないかっていう怖さがありました。一般の人の理解って、ありそうでないんですよね。LGBTって言葉は知ってるけど、当事者に会ったことない人が多いんです。当事者と一般の人が言葉を交わす必要があると思います」
性別適合手術当事者が発信する理由
「一般の人の理解って、ありそうでない」
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