ココ・シャネルはなぜ71歳で現役に復帰したのか?
―[魂が燃えるメモ/佐々木]―
いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。自分も満足して他人にも喜ばれる仕事をつくる「魂が燃えるメモ」とは何か? そのヒントをつづる連載第181回
ココ・シャネルという世界的なファッションデザイナーがいます。女性の社会進出が始まった当時の世相にマッチした、利便性とファッション性を両立した服装を提案した人物です。
シャネルは第二次世界大戦が始まった1939年に、香水部門とアクサセリー部門以外の全店を閉店して休業しました。しかし、その15年後の1954年に、ファッション業界に現役復帰してコレクションを発表します。この時、シャネルは71歳でした。
71歳といえばとっくに定年退職して引退している年齢です。またシャネルには、香水『シャネルNo.5』の売り上げのおかげで、働かなくても何不自由なく暮らせる莫大な財産がありました。そんな彼女の現役復帰という決断には、クリスチャン・ディオールの影響があります。
戦後に創業したクリスチャン・ディオールが提案した『ニュールック』は細いウェストや、足首まで丈のあるフレアスカートが特徴で、着こなすには身体を締めつける補正下着が必要でした。こうしたファッションのターゲットは上流階級の限られた女性です。
それに対して、「リトルブラックドレス」に代表されるシャネルの提案は、女性をコルセットから解放する、シンプルでエレガントかつ活動的なものでした。シャネルからすれば、ディオールの台頭は自分が作り出した流れを逆行させるものでした。こうしたことからシャネルはディオールをライバル視して、それが現役復帰の動機になりました。
決断には常に「人物の影響」があります。誰かの言動が喜びや怒りになって、決断を促す。その影響が原動力です。シャネルにとって、ディオールの存在が決断の原動力になっています。そして、その心情にあったのは怒りです。
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コーチャー。自己啓発とビジネスを結びつける階層性コーチングを提唱。カイロプラクティック治療院のオーナー、中古車販売店の専務、障害者スポーツ「ボッチャ」の事務局長、心臓外科の部長など、さまざまな業種にクライアントを持つ。現在はコーチング業の傍ら、オンラインサロンを運営中。ブログ「星を辿る」。著書『人生を変えるマインドレコーディング』(扶桑社)が発売中
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