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一度は芸能界を離れた27歳の元アイドルが、YouTuberとして人気再燃「日常の“あるある”をネタに」

 苦い経験や甘酸っぱい失敗談、恥ずかしい思い出……。人は誰でも他人にさらけ出せないこと、照れくさくて言えない“やらかし”エピソードを持っていることだろう。そんな日常生活の中で起こる出来事を“笑い”に変え、ユーモア溢れるキャラクターと飾らない人柄で人気急上昇中のYouTuberが佐藤ミケーラ倭子さん(27歳)だ。
佐藤ミケーラ倭子

女性アイドルグループ「アイドリング!!!」の元メンバーでYouTuberの佐藤ミケーラ倭子さん(27歳)

 女性アイドルグループ「アイドリング!!!」のメンバーとして活躍したのち、一度は芸能界を離れたものの、2020年からはYouTuberに転身。女性の“あるある話”や独自の“日常アフレコ”というジャンルを確立し、YouTubeのチャンネル登録者数は41万、TikTokのフォロワー数は29万人と、Z世代を中心に若年層から多くの支持を得ている。  テレビ番組では“ギネス級に舌が長い元アイドル”と紹介されたり、絶妙なワードセンスを誇る“ミケーラ節”が炸裂したりと、何かと話題にこと欠かない佐藤さん。学生時代の“やらかし”エピソードや芸能活動を始めた理由、日常の出来事をユーモラスにする「面白トーク」など、本人にたっぷりと語ってもらった。

幼少期からわんぱくで暴れん坊の子どもだった

佐藤ミケーラ倭子 日本人の母とブラジル人の父を持つ佐藤さんは、5歳からキッズモデルの事務所に所属。芸能の仕事を行っていたというが、当時から“わんぱく”な子どもとしての片鱗を見せていた。 「キッズが出る雑誌の撮影では、カメラマンから『カチューシャを付けて、風船は手に持ってね』と指示されても、言うことを聞かずにぶん投げてしまっていました。また、とある雨の降る日に保育園へ長靴を履いていったときのこと。しばらく経つと雨が止み、周りの子が普通の靴で運動するのがすごく羨ましく思えてきて、『長靴だと全然運動できない』という苛立ちから保育園を突然、脱走して家に帰りました。とにかく、やんちゃぶりを発揮していたと思います(笑)」(佐藤さん、以下同)  こうした破天荒な振る舞いは、ブラジル人の父から影響を受けているそうだ。 「父は陽気で面白い人なんですが、適当な部分もあって。私の破天荒さは親譲りかもしれません。あと、父は30年以上も日本に住んでいるんですが、未だに日本語が“カタコト”なんですよ。  私が幼少期からずっと父の日本語を聞いて育ってきたこともあり、私自身も日本語が若干たどたどしい時があるんです。ハーフとして日本で育ち、日本語しか話せないのにカタコトな自分だから、『何ヶ国語話せるんですか?』と聞かれた際は“0.5ヶ国語”と答えるようにしていますね」

学生時代の“やらかし”を告白。アルバイトで「接客はタメ口でした」

 小学校から始めた空手は黒帯を取得するほどの実力の持ち主。中学校時代には大会で優勝するなど、意外な一面も持っている。  美術部にも所属していたそうだが、「自分が思っていたイメージと違ったので1日で辞めた」と佐藤さんは話す。  高校に進学すると、ファストフードチェーンでアルバイトを始めることに。だが、そこでも苦い経験を味わったそうだ。 「接客の基本は敬語を使うことですが、私は店長やお客さんに対して“タメ口”で話しかけていました。その癖はなかなか抜けず、アイドルになってからも引きずっていましたが、先輩の菊地亜美さんに『タメ口はやめて』と注意されてからは、言葉遣いを意識するようになりました」  佐藤さんはバイトと並行して、部活動は軽音楽部に所属し、バンド活動に励んでいた。  ギターボーカルとして、自ら作詞・作曲を手がけるほど本格的に取り組んでいたそうで、その当時の髪型も、かなり攻めたものだったという。 「芸能事務所に入っていたので、勝手に髪型を変えられなかったんですが、『いけるとこまで短くしてやる』と思って。そしたら、きのこヘアに襟足を相当刈り上げられてしまい、学校の制服と全然似合わなくなってしまったんですよ。結構恥ずかしくて、隠すのに必死でしたね」
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アイドルオーディションを「レースクイーンの仕事」と勘違いしていた
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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