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カップかき氷「サクレ」冬の舞台裏、夏に向けた商品開発は“ある種の賭け”でもロングセラーが続くワケ

 夏場に食べたくなる、キンキンに冷えたかき氷。しかし冬場は需要が落ち込み、かき氷は店頭から姿を消してしまう。アイスクリームは一年中出回るようになったが、かき氷を年間通して販売しているお店は少ない。  こうした状況下で、カップかき氷売り上げNo.1を誇る「サクレ」シリーズは、閑散期の冬場をどう過ごしているのだろうか
サクレ

カップかき氷売り上げNo.1を誇る「サクレ」シリーズ(※2024年1月現在、「サクレスイカ」、「サクレフロート コーラ味&バニラ」、「サクレ梨」は販売を終了)

 おそらく、夏に向けての企画を鋭意仕込んでいるのは想像に難くない。だが、発売から39年もロングセラーを続け、「夏といえばサクレ」と言わしめるからには、“何か”工夫しているはず。  そこで今回は、サクレを販売するフタバ食品株式会社 企画部 係長の三上菜穂さんに、冬場でやっている工夫や繁盛期につなげる努力の裏側について話を伺った。

かき氷にレモンの輪切りを乗せるアイデアは喫茶店が原点

三上菜穂

フタバ食品株式会社 企画部 係長の三上菜穂さん

 1985年に発売して以来、35年以上にわたって愛されてきたサクレだが、当初からロングセラー商品を目指したわけではなく、「食べるときに氷が固くてスプーンが入らない問題を解決したい」という思いから開発がスタートしたそうだ。 「その時代に出回っていたかき氷は、アイスカップの側面が“ギザギザ”した形状で、“ザクザク”とした食感のものが主流でした。ですが、冷凍庫から取り出しても、氷がある程度溶けるまで待つ必要があり、スプーンで砕きながら食べなければならないという課題がありました。  そこで、冷凍庫から出した直後でも、すぐにかき氷が食べられるように、氷の粒が小さく、均等な大きさに削った氷の開発に着手したんです。こうすることで、スプーンも滑らかに入り、“サクサク”とした口当たりの新しいかき氷ができると考えました」(三上さん、以下同)  また、かき氷のフレーバーにもこだわったという。  苺や白蜜といった定番の味ではなく、レモンをかき氷の上にトッピングしたのは、「純喫茶でブームだったレモンスカッシュから着想を得た」と三上さんは話す。 「1980年代は、喫茶店に入ってレモンスカッシュを注文するのが流行っていました。そのグラスにスライスレモンが添えられていて、かき氷に生のレモンの輪切りを乗せれば、新しい商品になるのではという発想から、『サクレレモン』が誕生したんです」

大ヒットのきっかけは「大阪の女子高生の口コミ」

三上菜穂 1985年にサクレレモンを発売。当時は大阪の工場で生産していた関係で、まずは関西圏から商品の流通をスタートさせた。  ヒットのきっかけは「大阪の女子高生の口コミ」だったとか。 「その頃のサクレレモンは、今よりも相当甘みが強い味わいで、かつ可愛らしいデザインのパッケージで登場しました。あるとき、それが大阪の女子高生の目に留まって、そこから口コミでサクレレモンが広まっていったと聞いております」  定番のレモン味に加えて、「サクレいちご」や「サクレ青りんご」、「サクレアセロラ」、「サクレオレンジ」など、今では製造されていない商品も含めると、これまでに29種類のフレーバーを世に出してきた。  そんななか、かき氷という商品は夏場が最盛期である以上、サクレだけ売っていても企業経営としては成り立たない。  フタバ食品はサクレを出した1985年当時も、春夏は「アイスやかき氷」、秋冬は「冷凍食品や中華まん」という今と変わらない事業スタイルだった。  さらに、1972年から製造する「マロングラッセ」は、手土産として人気が高く、国内No.1のシェアを誇るなど、サクレ以外の利益基盤も作りながら、会社を成長させてきたのだ。つまり、サクレ一辺倒にならずとも、食品会社としての強みを生かし、サクレブランドを丁寧に、着実に育てられる環境があったわけである。
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“過去のリベンジ商品”を出したことも
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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