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「敬語も知らなかった」“ガングロ”ギャルが知識ゼロから社長に。経営危機を乗り越えて

 ギャルがトレンドになっている昨今。見た目だけではなく精神性にも注目が集まり、ポジティブに自分らしさを貫くマインドが支持されているという。そうした再ブームで気になるのは、かつて渋谷センター街を賑わせていたギャルたちの今だ。10代・20代を謳歌していた彼女たちは、年齢を重ねてどのような女性になっているのだろう。
塩澤麻衣

女子高生時代の塩澤さん(株式会社 大洋図書/egg編集部)

 今回登場するのは、元『egg』読者モデルの塩澤麻衣さん(42歳)。90年代後半に活躍した塩澤さんは、自らを「原色人類」と名乗り独自の立ち位置を確立した。しかし00年代に入ると読者モデルを卒業し、表舞台に姿を現すことはなかった。  それから20年以上が経った現在。彼女は数々のインフルエンサーから信頼されるエステサロン経営者として再び注目を集める存在になっていた。東日本大震災やコロナ禍といった経営の危機を乗り越えた彼女の半生とは。

敬語も知らないギャルが、5年後には100人の部下を育てるまでに

塩澤麻衣

現在の塩澤麻衣さん(42歳)

「エステ業界って勉強が苦手な人ほどおすすめなんです。手に職をつける!だからもし学歴のことでもう私は稼げないと思っている女性がいたら、諦めなくて大丈夫なんだってことを伝えたいんです」  そう語る塩澤さんがエステ業界に足を踏み入れたのは些細なことからだった。  当時19歳でギャル生活にも飽き始めていた塩澤さんは、そろそろガングロをやめて肌を白くしたいと思っていたという。そんなある日、アルバイト先の社長から「エステサロンを開業するからそこで働かないか」と声をかけられた。「私の肌も白くしてもらえて一石二鳥じゃん!」と彼女はすぐに承諾。これが天職に出合うきっかけとなった。 「ギャル時代にはいろんな業界の大人に会ってきたんです。もうそれはキラキラしてましたよ。すごい世界を見たなって感じでした。でもそれで満足しちゃって。でもこの場所にずっといたら成長はないなとと思ったんです。地に足をつけた生活をしたいという気持ちが高まっていた時期だったんですよね」  20歳でエステティシャンとしての人生をスタートさせた塩澤さん。しかし“接客”以前にまず敬語をどう使えばいいのかわからない。 「敬語って時代劇の言葉だと思ってたんですよ!たとえば“お母様”“お父様”と呼ぶべきところで、“御母上様”“お父上様”って呼んじゃったり。気を抜けばチョベリグ〜とかいいそうにもなって(笑)。これじゃいけないと思って敬語の本を読み込みましたね」  言葉の使い方、接客、美容知識、エステ実習……社会人として、エステティシャンとしての基本を必死で勉強する日々。一方、渋谷で個性の強いギャルや業界人たちと接していた経験からか、コミュニケーション能力は高い方だった。接客のコツを掴むとあっという間にエースとして飛躍していく。 「売上はどんどん上がるし、給料も上がるし、めちゃくちゃ楽しかったですね。入社から5年経った頃には部下が100人できてました。色んな経験をさせていただいてありがたかったです」  25歳という若さにして大出世した塩澤さんは、徐々に独立への夢を抱くようになる。雇う側になってエステに興味を持つ女性を増やしたい……そんな思いがふつふつと湧いてきた。  そして彼女は退職を決意。会社での地位を手放して新たな目標へと突き進んでいった。

自分で決めた道は絶対にやり抜く!ギャル時代から変わらない信念

塩澤麻衣 自分の道は自分で決める。塩澤さんは他人に敷かれたレールの上を歩くことはしない。 「誰に何を言われようが、自分の行きたい道に進んできました。その代わりに絶対やり抜きます。ときには弱気になることもありましたけど、どん底気分は3日間だけじっくり落ち込み反省してあとは前を向いていくこと、『雑草魂!』とこれを大切にしています」  ギャルになると決めたときにもそうした強い意志があった。実は中学生の頃に女優を目指していた塩澤さん。劇団に所属して芝居の勉強をしていたものの、いくらオーディションを受けても採用されない。そんなときに出会ったのがギャルだった。  ギャルになれば自分の個性が何なのかわかるかもしれない——渋谷の街を堂々と歩く女の子たちの姿を見てそう思った。あの子たちみたいに個性的になりたいと、肌を焼き始めた。しかし、女優を目指すなら過度な日焼けはできない。塩澤さんは迷った末に、女優の道を諦めてギャルになることを決めた。
egg

1998年6月号『egg』(株式会社 大洋図書/egg編集部)

 そんな彼女の決断が転機となる。渋谷に通うようになるとすぐに『egg』編集部からスカウトされ、女子高生読者モデルとして雑誌に出演することができたのだ。  強烈な個性を持つモデルたちが勢揃いするなか、塩澤さんはガングロ肌に原色を合わせたスタイルを確立し、自らを「原色人類」と名乗るようになる。自分をどう見せたいか、そのためにはどうすればいいのか。当時から自分の見せ方についてよく考えていたという。  その我が道を突き進む芯の強さと読者モデル時代に磨かれたプロデュース能力は、その後のエステティシャンとしての人生にも大きな影響を与えていく。
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1994年生まれ。リアルサウンド編集部に所属後、現在はフリーライターに。『リアルサウンド』『日刊サイゾー』などで執筆。またnoteでは、クォーターライフクライシスの渦中にいる20代の声を集めたインタビューサイト『小さな生活の声』を運営している。

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●塩澤麻衣オフィシャルサイト
https://mai-shiozawa.com/
●ヒーリングオアシス(麻布十番)
http://h-oasis.jp/
●美尻研究所(銀座・麻布十番・心斎橋)
http://h-oasis.jp/bijiri
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