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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。

番外編:カジノを巡る怪しき人々(2)

「井川のアホぼん」と「サンユーさん」

「井川のアホぼん」は、マカオのジャンケット業者へもかなり焦げつかせているようだ、と今回の取材旅行では聞いた。

ことの性質上、裏は取れない。でも、そうだろうな、とわたしはまたまた哀しく邪推する。

ゲーム賭博の仕掛ける罠は、強烈だ。

はじめの頃は、誰もが自分を制御できている、と考える。

ある日、ふと目覚めると、泥沼の中にすっぽりと嵌まり込んでしまった自分を発見する。

こうなったら、もう自分の意志では身動きがとれない。

ずぶずぶに嵌まり込む。

冥府魔道(めいふまどう)・阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄が待ち受ける。

そしてここは重要なのだが、自分が地獄に堕ちていくことを、本人は自覚しているのである。

堕ちつづけながら見る地獄とは、結構楽しいものなのだ。

じつは、「井川のアホぼん」とそっくりな人が、過去の日本に存在した。

新宿から小田急線の白い電車に乗ると、20分ほどで狛江(こまえ)市に着く。人口7万6千人ほどの、世田谷区に隣接する東京都下のちいさなサテライト都市だ。

1960年代の高度成長期を迎えるまで、この一帯には馥郁(ふくいく)たる下肥(しもごえ)の香が漂っていた。

急激な経済成長を背景として、都心への通勤圏内であるのどかな田園風景は、やがて高価な宅地に化ける。

さて、そんな狛江市でも名門だったのが、石井家。大地主である。

その頃の当代は、三雄(さんゆう)さん。

石井三雄は、四期連続で市議に当選し、1981年には請われて市議会議長も務めた。

狛江市長選に保革相乗りで出馬したのが、1984年のこと。

これも余裕で当選し、以降三期にわたり、市長職を務める。

つまり、石井家といえば、地元では折り紙つきの名士中の名士だった。

そんな現職市長が、1996年6月12日、突然記者会見を開き、市長辞任を発表すると、記者会見場からそのままその脚で失踪した。

失踪当時、65歳。

分別をしっかりとわきまえた(はずの)いい歳したじじいである。

しかも三雄市長は、お金持ちさまだった。

それも、そんじょそこらに居る小金持ちたちとは、わけが違う。

農地の一部を宅地用に切り売りすれば、簡単に10億円単位の金が転がり込んでくる。その頃の時価で、資産100億円は下らないだろう。地元では、そう噂されていた。

そんなお金持ち市長が、突然失踪した。

そして、失踪後の市長私宅前には、白いメルセデスが列をなす。

主なき豪邸には、「債権者の代理人」を名乗る人相悪しき男たちが、十数人泊まり込んでいた、と報道された。

大資産家のはずだったが、土地はすでにほとんど売り払われ、残っていたのが、推定で30億円から50億円の借金。

裏社会の事情通によれば、およそ2年ほどの間に、ざっと見積もって150億円を、バカラ卓に張られたグリーンの羅紗上で溶かしたのではなかろうか、となる。

東北の山の中のお寺に隠れていたところをジャーナリストに発見され、三雄(さんゆう)さんが吐いた台詞が記録されている。

「それでもバカラは、最高のゲームです」

まったく、反省がない。

立派だった。

「井川のアホぼん」が嵌まったバカラとは、そういう「鬼畜のゲーム」である。

負けた人には、どんどんと金を出して打たせる

14泊に及んだ「マカオ取材旅行」を前後に分けるようにして、途中、わたしは数日だけ日本にもたち寄った。

東証一部上場企業がひっくり返るかもしれない「井川のアホぼん」の件は、さすがに話題となっていたので、わたしの東京滞在を知ったジャーナリストからの取材を受けた。

そうしてできたのが、さかあがり記者による『日刊SPA!』に掲載された記事だった。
https://nikkan-spa.jp/83041

そこでわたしは、

(マカオの)「ジャンケット業者には『負けた人にはどんどんカネを貸して打たせる』という特徴がある。なぜならジャンケット業者は、客が勝った金額も負けた金額もハウスと折半する決まりとなっているから。客が負けてくれればくれるほど、ジャンケット業者の実入りは大きくなる」

と述べたことになっている。

これは、さかあがり記者による、わたしのコメントのほぼ正確な引用である。

なぜ「ほぼ正確」かと言うと、マカオのジャンケット・ルームでは、サブ・ジャンケット、サブ・サブ・ジャンケット、さらにその下位に位置するサブ・サブ・サブ・ジャンケット……、という具合に連鎖していくから、同一のジャンケット・ルームの業者でも、必ずしもその利害が一致しているとは言い難いからである。

「勝ち負け折半」で契約する最上位のジャンケット業者(多くの場合「部屋持ち」)は、打ち手が負けることを望んでも、「パーセンテージ」契約を結ぶ下位の業者は、打ち手が勝つことを望む。当然だが勝っていれば、ロール・オーヴァーが巨大となる場合が多いのだから。

そこいらへんの複雑な事情は、『ばくち打ち』第二章で、よく説明したと考える。

またそういった複雑な事情を、短い記事の中ですべて説明することは不可能なので、さかあがり記者は省略したのだろう。

取材された側のわたしとしては、上記の記事は文章に無駄もなく、よくまとまっていた、と感じる。

と、と、ところが……。

(つづく)⇒「自分のわずかな体験だけで、世界を断ずる」

番外編:カジノを巡る怪しき人々(1)

十年に一度のシュー

 38回に及んだ『ばくち打ち』第二章の連載も無事に終わり、すこし息抜きをしようと思う。

 10月中旬と11月初旬の2回、マカオに行ってきた。合わせて14泊の「取材旅行」だった。

 マカオに行けば行ったで、どうしても勝負卓に坐ってしまう。

 大手ハウスのプレミアム・フロアに顔を出すと、まあだいたいわたしの知り合いの誰かが、バカラ卓でカードを引いていることになっている。

 後半の滞在期間中、たまたま居合わせたわたしの古い日本の知り合いが、「十年に一度」(ヴェテラン・ディーラーの証言)というケーセン(罫線。出目のこと)を絞り起こした。

 すべてL字(ケーセンを示す電光掲示板で、ツラ=連勝が表の下に突き当たり、向かって右に折れること。出目の形がアルファベット大文字「L」となるので、そう呼ばれる)で、8デッキ・平均72クー(手)のシューが、初手からバンカーとプレイヤー数本のツラで終わってしまった。

 まさに「十年に一度」のシューであろう。

 たまたまこういうケーセンに出遭い、しかも恐怖を振り切ってその流れに乗れると、荒稼ぎができる。

 500万円の持ちこみ(デポジット)が、5億円にも10億円にも化ける。

 1億円のフロント・マネーが、100億円を超す。

 だから、博奕(ばくち)は面白い。

 だから、博奕は怖い。

 それで、博奕は止められなくなってしまう。

 そのとき、わたしは「奇蹟のシュー」の現場に居合わせなかった。

 すでにその日の取材も博奕も終え、ちいさな勝利に満足して部屋に引き揚げ眠っていたのである。

 相変わらず、ドジだ。

不可測の未来を可測しようとするこころざし

 14泊2回に分けたマカオ「取材旅行」は、「井川のアホぼん」がテーマだった。

 47歳といういい歳をこいたおやじのはずなのに、なぜか「アホぼん(京都祇園で、頭の弱い御曹司を指す言葉)」と呼ばれていた。

 大王製紙前会長・井川意高(もとたか)は、自社連結子会社から106億円の貸付を受け、そのほとんどをバカラ卓に張られたグリーンの羅紗(ラシャ)の上で、溶かしてしまった。

 報道では、そうなっている。

 報道ではそうなっているのだが、わたしはそう思わない。

 きっと、もっともっと負けているのじゃないか、と邪推する。

 最初は誰でも、借りた金で博奕など打たない。

 自分の金で打ち始める。

 自分の金が尽きたから、金を借りてまでして、取り戻そうとこころみるのである。

 これは報道されている、自社連結子会社から「アホぼん」が受けた貸付額を追ってみると、よくわかる。

 連結子会社から金を引っ張りはじめたのが、2010年5月から。

 わたしは約3年前から、「アホぼん」をマカオ大手ハウスのプレミアム・フロアで見掛けているので、すくなくとも2年間ほどは、自分の金で持ちこたえていたのだろう、と推察する。

 連結子会社から金を引っ張りはじめて、1年弱の時点(2011年3月末)での貸付額が23億5000万円。

 これが、2011年9月までのわずか半年間で、それこそ雪だるま式に100億円超まで膨らんだ。

 なぜか?

 借りた金を、博奕で勝って返済しようとしたからである。

 それまでにバカラ卓で溶かした金を、取り戻そうとこころみた。

 そういう博奕は、まず勝てない。

 それまでに失った金と、新規に借りた金の総量が多重のプレッシャーとなって、ほとんどの場合、打ち手を押し潰してしまう。

 博奕は、慣れなければ、大きな勝負に行けない。

 また同時に、博奕は慣れてしまえば、奈落への早道切符を買ったのと同様の状態となる。

 日常の金銭感覚を失う。

 大金が大金と思えない。

 なに、1000万円?

 そんなん、ワン・ベットじゃ。

 そうやって、地獄に堕ちていく。

 ――慣れねばならず、慣れてはならず。

 恐ろしいことだと思う。

 でも、打ち手はそこをしっかり心しないと、必ず破滅する。

 ――毎回初心に戻り、あたかも処女のごとく。

 勝負卓では、小心に臆病に、心を震わせ恐怖にあえぎつつ、おそるおそる脚を開くのである。

 ただし経験豊富な処女(!)であるから、時を迎えれば、思いっきりイク。

 彼女の「時の時(ノーマン・メイラーの言葉)」をしっかりと心得た処女。

 矛盾だ。

 しかし、本連載でも繰り返し述べてきたように、博奕の本質は、矛盾である。

 カジノの建物を一歩でも外に出たら、眼を回してひっくり返ってしまいそうな非日常な大金を、カードの配列の偶然に賭ける。

 なんの根拠もない。

 博奕に関する定義は無数にある。

 そのなかのひとつは、「不可測の未来を可測しようとするこころざし」が博奕、とする。

 それゆえ、大勝すれば、神をも凌駕した「全能感」を持ちうる。

 まっさらな愉悦に浸れる。

 そもそも、矛盾した快楽行為(あるいは絶望行為)が博奕なのである。

「井川のアホぼん」が、バカラ勝負卓に張られたグリーンの羅紗の上で、いったい総額でいかほどを溶かしたのか、わたしは知らない。

 経済力がある人だったから、連結子会社等から106億円の貸付を受けているとするなら、おそらく軽く百数十億円相当は負けていたのだろう、とわたしは邪推する。

(つづく)⇒「井川のアホぼん」と「サンユーさん」

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ばくち打ち,森巣博【あらすじ】
新宿歌舞伎町のアングラ・カジノで生きる、しがない博奕(ばくち)打ち・竜太。行きつけのカジノ・クラブ『モナコ』では、子連れの博奕打ち・俊介や、バカラ依存の男・額田ら、さまざまな人間が「合意の略奪闘争」を繰り広げている。そして、竜太の「スポンサー」であり、まだ20代のキャリア・ウーマンの真希もまた、いつしか鬼畜の賭博・バカラに嵌まり、竜太とともにオーストラリアのクラウン・カジノへ――。自身も40年間、カジノを生業としてきた著者が、ゲーム賭博に魅せられた者たちの容赦なき闘い・欲望・葛藤を、世界のカジノを舞台にダイナミックに描く。

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2011.03.25 | 

第1章:勝てば幸運、負ければ実力

【あらすじ】 新宿歌舞伎町のアングラ・カジノで生きる、しがない博奕(ばくち)打ち・竜太。行きつけのカジノ・クラブ『モナコ』では、子連れの博奕打ち・俊介や、バカラ依存の男・額田ら、さまざまな人間が「合意の略奪闘争」を繰り広 […]

小説『ばくち打ち』連載開始にあたって

日本におけるカジノ合法化の動き  どうやら日本でも、ゲーム賭博の場、すなわちカジノが合法化される見通しとなってきた。 超党派のカジノ議連が発足、カジノ合法化は観光立国の起爆剤   日本でのカジノ合法化などを目指す超党派の […]

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