政治経験ゼロのコメディアン大統領でウクライナは大丈夫か?

<文/グレンコ・アンドリー『ウクライナ人だから気づいた日本の危機』連載第21回>

コメディアン出身で政治経験ゼロのゼレンスキー大統領

   コメディアン出身で政治経験ゼロのゼレンスキー氏が、5月20日にウクライナの新大統領に就任して、1カ月が経ちました。

大統領選の討論会で演説するゼレンスキー氏(2019年3月19日撮影:ウィキペディアより)

 彼は知名度の高い芸能人であり、長年、政治や社会問題、日常生活などをネタにしたコメディ番組を作成し、主役で出演していました。芸能人としての実績は十分です。しかし、国の指導者としてまったく不向きな人物でした。大統領選中の多数のインタビューで、彼が政治、国家運営に関する知識を持ち合わせておらず、大統領の権限、役割などを理解していないことは明らかでした。  また、ウクライナは現在、ロシアと戦争状態にあります。戦時中の国のトップの役割は、根性を出して諸外国との非常に難しい交渉を行い、国際社会の動きがウクライナに不利にならないように全力を尽くすことです。しかし、彼がそういう根性と能力を持ち合わせているとはとても思えません。  それにもかかわらず、なぜこのような人物が高い得票率でウクライナの大統領になれたのでしょうか。大統領選挙の結果をおさらいすると、次のようでした。 2019/3/31 1回戦(得票率) ウォロディミル・ゼレンスキー 30.24% ペトロ・ポロシェンコ 15.95% ユーリヤ・ティモシェンコ 13.4% 4/21 決戦投票 ゼレンスキー 73.22% ポロシェンコ 24.45%  もちろん、彼の選対本部は見事な戦略をとり、非常に効果的な選挙運動を行いました。役人の汚職や貧困に対する国民の不満に乗じて、「弱者、一般市民の味方」というスタンスで、現状に不満を持っている層の票を吸収することに成功しました。

なぜポロシェンコ政権は低評価だったのか

 しかし筆者が触れたいのは、この結果を可能にした国民の思考についてです。ポロシェンコ政権は5年間で、ウクライナがソ連から独立して以来の23年間よりも、何倍もの実績を残しました。非共産化、独自の歴史認識の形成、再軍備、独立教会の実現、欧州連合との協力協定やビザ要件の撤廃(ウクライナパスポートの所有者は90日間、欧州連合にビザなしで滞在できる)、他にも、予算の中央政府から地方自治体への再分配や、汚職の縮小など多くの改革がなされました。  しかし、2014年にロシアがクリミア半島とウクライナ東部を侵略し、東部では今も戦争が続いています。そのため、ウクライナの経済成長率は低く、国民の生活が豊かになりません。多くの国民は現状に不満を持ち、その矛先はポロシェンコ政権に向かいました。  ポロシェンコ前大統領は全力を尽くしたと思います。しかし、戦争という不可抗力な事情があり、期待されるほどの業績をあげられませんでした。だから彼は国民の多くに嫌われ、支持率が落ちてしまったのです。客観的に見れば、彼の実績は大きかったにもかかわらず、彼が成功した場面は注目を浴びず、失敗だけが言論空間で話題になっていたのです。  日本のみなさんにとっては、2009~12年の「悪夢の民主党政権」がなぜ誕生したのかを思い出していただければ、今回のウクライナの大統領選挙の理解の助けになるでしょう。

コメディアンを大統領にしてウクライナは大丈夫か?

 講演会などでお話をする際、「ウクライナはコメディアンが大統領になって、これから大丈夫ですか?」と日本の方々によく質問されます。ただ、大丈夫かどうかというのは相対的な問題ですので、一概には答えることはできません。  例えば、民主党時代の日本は大丈夫だったか考えてみましょう。確かにGDPが減って経済は停滞しました。東日本大震災も起きました。ただし日本全体がインフラ不全に陥って停電や断水が起きたわけではありませんし、暴動や飢餓も起きていません。避難所で生活している一部の方々を除けば、ほとんどの日本人は一応、普通に生活していたわけです。そういう意味では、日本はとりあえず大丈夫だったと言えるのではないでしょうか。  ウクライナについても同じです。コメディアンが大統領になったからといって、いきなり悪いことが起きるとは思いません。国家の崩壊のような極端なシナリオは考えにくい。ただし、ポロシェンコ時代ほどの成長はないでしょう。逆に、いくばくかの後退だってあり得ます。現時点では私はそのように考えています。  なぜなら、ゼレンスキー大統領はきっと、彼なりにいいことはしたいのだと思います。しかし、彼には政治家としての能力がない、いわば無能ですね。いいことをしたいけれども無能。だから、たぶん政権運営はあまりうまくはいかないでしょう。ただ彼は極悪人ではないので、とてつもなく悪いことが起きるとは思いません。  就任して約1カ月が経ちましたが、ゼレンスキー大統領を見て分かったのは、彼は友達やビジネスパートナーを国の要職に任命しています。つまり、能力ではなくて人間関係で政治を行おうとしている。このようなことは、ウクライナの政治には今までもよくあったことです。ただし、ゼレンスキー大統領は、全ポストでそうしている訳ではなく、外務省どの大事なポストにおいては、一応能力主義で外交のプロを任命しています。ですので、全てが最悪というわけでもありません。

ロシアとまともに交渉できるのか

 対ロシア外交についていえば、ゼレンスキー大統領は親欧米路線を続けるはずでしょうから、とんでもない売国行為とか、あるいはロシアに対する降伏、あるいは大幅な譲歩のようなことは、恐らくないと見ています。  彼も大統領になったわけですから、何はともあれ任期は全うしたいわけです。普通に5年間務めて、できれば再選もしたいという願望はあるでしょう。もし、おかしなことをすれば、再選どころか、任期も全うできずに倒されるかもしれません。ウクライナにも愛国派の層は一定数ありますので、明らかな売国政策を取ったら倒される可能性があります。ゼレンスキー大統領もそれは望まないでしょう。  ですから、ロシアに対して大幅な譲歩はしないでしょうし、欧米との関係を大事にし、連帯しながら、対ロシア防衛を続けると思います。ただし、政治能力のないゼレンスキー大統領が実際にどこまでやり遂げられるのかは未知数です。前職のポロシェンコ大統領と比べて実行能力がないからです。

バックの新興財閥の存在が懸念材料

 ただ、内政の面については懸念があります。ゼレンスキー大統領は、ポロシェンコ政権時代の経済改革は続けると言っているのですが、彼のバックには億万長者のイーゴリ・コロモイスキーという人物がいます。彼はオリガルヒ(新興財閥)の一人で、コメディアン時代のゼレンスキー大統領が出演していた番組を放映するテレビ局を所有する実業家でもあります。  コロモイスキー氏はゼレンスキー大統領を推し、大統領選挙ではテレビ局を挙げて、彼を全面的に支援し、そのおかげで人気が上がったようなものでした。選挙運動の資金もほとんどコロモイスキー氏が出したので、恩が大きいわけです。  そのため、ゼレンスキー大統領がコロモイスキー氏に不当な特権を与えて、コロモイスキー系の企業が、国から不当な利益をむさぼるような政策を取らないか、大きな懸念があります。

議会を解散して選挙に勝てるか

 議会についてですが、ゼレンスキー大統領は議会幹部らと会談し、「議会への国民の信任が非常に低い」と最高会議(議会)を解散して、当初10月27日に予定されていた議会選挙を、7月21日に前倒して実施する大統領令に署名しました。  ゼレンスキー大統領の政党「国民の奉仕者」は、現在の議会に議席がありません。そこで、支持率が高いうちに議会で一定の勢力を固めて、政策決定で主導権を握りたいわけです。  ただし、実は、ゼレンスキー大統領の解散は条件を満たしておらず、法的根拠がないと指摘されています。ウクライナの場合は、日本の首相のように議会の解散権を行使できません。議会を解散するには、憲法で定められた条件を満たさなければなりません。  議会としては、憲法裁判所に不服申し立てをすることもできるのですが、ほとんどの政党は不服申し立てをせずに、解散なら解散で選挙をやりましょうという姿勢です。そのため、恐らくこのまま7月に選挙が行われるだろうと予測されます。  ゼレンスキー大統領はまだ人気が高いので、単独過半数になるかどうかは分かりませんが、それなりに高い得票率を取り、かなり大きな会派を持つでしょう。そうなると、議会もゼレンスキー勢力が支配する可能性は十分あり得ます。立法も行政もコントロールできる状態になるわけです。

ゼレンスキー勢力が責任を負う状態に

 ただし、これは裏を返して言えば、全ての責任を自分で持つということになります。つまり、内政も外交も防衛も、全ての責任はゼレンスキー政権にかかります。これから間違いなく経済停滞が来ますが、それに対する不満はゼレンスキー大統領に行くわけです。そうなると、彼の人気はだんだん落ちていくでしょう。  もし彼が今の議会を解散せずに任期満了までやったら、逆に人気を保っていたかもしれません。「私はいろいろやりたいのだが、議会が邪魔をする」という言い訳ができるからです。しかし、議会も自分の政党が多数を占めてコントロールできるようになったら、国の経済も外交も、全ての分野の責任はゼレンスキー勢力が負うことになり、不満も高まるでしょう。

ゼレンスキー政権の今後の展望

 これからの一番現実的な展望というのは、単独過半数になるかどうか分かりませんが、まず間違いなく、ゼレンスキー勢力を中心に連立政権が組まれるでしょう。たぶん、ゼレンスキー勢力と日本でも有名なティモシェンコ元首相の小政党が連立を組んで過半数になり、それが内閣を組閣することになると思います。  しかしそうなると、ゼレンスキー大統領は全ての責任を負わねばならなくなり、国民の不満はだんだん高まって、来年の春ぐらいから、たぶん支持率は落ち始めるでしょう。  そして、支持率が下がり始めたところで、恐らく利権の取り合いでティモシェンコ氏とケンカすると思います。というのは、ティモシェンコ氏もすごく権力欲の強い人ですから、最初は仲良くするでしょうが、どこかの段階で対立して、連立が崩壊するでしょう。  来年の今頃は、もうゼレンスキー大統領の人気は落ちて、それ以降は別の政党と組むのか、もしくは解散総選挙でもう一回やるのかは分かりませんが。恐らく、人気はだいぶ落ちている状態だと思います。    彼が順調な国家運営ができるかどうか、成功するか失敗するかは、彼が誰をブレーンにして、誰を主要ポストに任命するかによるところが大きいでしょう。それについては、議会の解散と選挙の結果によるところが大きくなります。 【グレンコ・アンドリー】 国際政治学者。1987年、ウクライナ・キエフ生まれ。2010年から11年まで早稲田大学で語学留学。同年、日本語能力検定試験1級合格。12年、キエフ国立大学日本語専攻卒業。13年、京都大学へ留学。19年3月、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程指導認定退学。アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」懸賞論文学生部門優秀賞(2016年)。ウクライナ情勢、世界情勢について講演・執筆活動を行なっている。最新刊は『ウクライナ人だから気づいた日本の危機――ロシアと共産主義者が企む侵略のシナリオ』(育鵬社)
1987年ウクライナ・キエフ生まれ。2010~11年、早稲田大学へ語学留学で初来日。2013年より京都大学へ留学、修士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程で本居宣長について研究中。京都在住。2016年、アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」懸賞論文学生部門で「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと――真の平和を築くために何が重要なのか」で優秀賞受賞。月刊情報誌 『明日への選択 平成30年10月号』(日本政策研究センター)に「日本人に考えてほしいウクライナの悲劇」が掲載。
ウクライナ人だから気づいた日本の危機――ロシアと共産主義者が企む侵略のシナリオ

倉山満氏推薦! 「日本よ――第二のウクライナになる前に覚醒せよ! 著者の祖国ウクライナは2014年にロシアに侵略された。 彼は日本に来て、国民の平和ボケと危機への無関心ぶりに驚き 警鐘を鳴らしてくれた。」

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