【光市母子殺害】元少年Fが託した最期の言葉
妻と子の尊い命を奪われながらも、長きにわたって過酷な裁判に耐え、毅然とした態度で極刑を求め続けた本村洋さんの姿に涙した人も多いだろう。2月20日、’99年に起きた光市母子殺害事件を巡る裁判で、最高裁による“最後の審判”が下される。 ‘08年に死刑判決の出た最高裁の差し戻し控訴審で弁護団に参加しながらも、その弁護方針の違いから突如「解任」された今枝仁弁護士が、最高裁判決の直前、「元少年」Fから託された「最期の言葉」を綴る――。
「死刑はやっぱり怖いよ。国から命を奪われるわけだからね」考え得るもっとも重い審判を下される“覚悟”は、すでに’08年に広島高裁で出された死刑判決を聞いた直後からあったのだろう。面会室のアクリル板越しに座るFの表情からは、意外にも悲壮感めいたものは感じられなかった。
最高裁の最終決定が出される2月20日のちょうど1週間前、私は彼に会うため広島拘置所を訪れていた。
「でも、こうなってみて初めて、僕が2人の大切な命を奪ってしまったことの意味が、少しずつだけどわかってきたような気がするんだ……」自分の犯した罪とどう償えばいいのか、何の落ち度もなく被害に遭われた本村弥生さん(当時23歳)、そして、お子さんの夕夏さん(同生後11か月)をどう弔えばいいのか、ご遺族となられた本村洋さんにどう贖罪の思いを伝えていけばいいのか……。
‘08年の死刑判決以来、彼がずっと向き合ってきた胸の奥の葛藤だ。
事件当時、「18歳と30日」という年齢だったため、少年への死刑適用の是非が問われた本件だが、実は、F自身かねてより死刑制度は存続すべきという立場を取っている。
「もしも許されるなら、生きて償う道を与えてほしいと思うけど……。僕のしたことは、2人の尊い命を殺めたのだから、僕の命をもって償わなければならないものだとも思う」彼に寄り添い続けた私のひいき目ではなく、差し戻し控訴審で死刑判決を受けてからのFは、少しずつだが強くなっているように感じた。
公判でも明らかにされたが、彼は特異な家庭環境で育った。父親は事あるごとに暴力を振るい、したたかに殴られた夜には、のちに自殺する母親がFの寝床に潜り込み「生まれ変わったら結婚しよう」「あなたの子供がほしい」……と囁いていたという。彼が育ったこうした“健全とは言い難い成育環境”は、発達障害やコミュニケーション不全というかたちで、のちにFを苦しめることになる。
「凶悪殺人鬼」のイメージとはほど遠い、同世代の青年よりも童顔で、社会性を欠いたアンバランスな言葉遣い……。贖罪の方法すら自身で見つけられないほど幼稚だった彼が、30歳になり、ようやく自らの犯した罪に真摯に向き合えるようになっている……そう、面会時に私は感じた。
「警察、検察や裁判官が悪かったとは思わない。僕が、うまく自分の思いを表現できなかった未熟さが招いたんだ。今は、自分のこと 相手に理解できる言葉でうまく伝えて、良くも悪くも適確に評価してほしい。そして『不謹慎だ』『反省していない』と批判されたら、それを反省のチャンスにして成長したいんだ」一方で、この裁判には死刑制度へのスタンスが大きな影を落としたのも事実だろう。私が解任された「大弁護団」は、主任弁護人の安田好弘氏が日本の死刑廃止運動のオピニオンリーダー的な存在だったことから、Fの弁護活動を運動に利用している……との批判も浴びた。かねてより死刑存置派であった私もこの非難の渦に巻き込まれ、精神的に疲弊した結果、数か月間弁護士業務の休養を余儀なくされたくらいだ。
悲しいかな、Fも死刑の賛否両論の渦に絡め取られてしまったのだろう。面会時、こんなことも話していた。
「裁判所には、いろいろなことの判断を求めているんだ。裁判所は僕を判断する立場だけれども、社会から評価を受ける立場でもある。僕の刑が決まるだけじゃなく、これからのこの国の裁判の参考基準を示すことになるだろうから、何十年もの批判に耐える、しっかりした判決文を書いてほしい。そうしてもらえれば、僕も幸いだよ」
2/21発売の『週刊SPA!』では、Fの更なる“最期の言葉”が掲載されている。 <文/今枝仁 撮影/週刊SPA!編集部>
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