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「感動をありがとう」に違和感のある人、何%?

なでしこジャパン 新聞  FIFAランキング1位のアメリカを破り、見事、世界一に輝いたなでしこジャパン。先行されてもくらいつき、延長後半12分、エース沢の芸術的なまでの同点弾。そしてPK戦、GK海堀が見事にゴールを守り、世界一の座を獲得。熱く、感動的な試合だった!   が、しかし。個人的には、試合後、テレビや新聞から流れる「感動をありがとう!」の大合唱に、どうにもこうにも違和感を覚えるのである。 素晴らしい試合であり、感動したのは紛れもない事実。しかし、「ありがとう」はちょっと違うのでは? と。
円グラフ

7月20日、全国の20~30代の男女100人を対象に調査

 こんな思いをしているのは、当方だけではあるまいと、全国20~30代の男女100人に「感動ありがとう」というフレーズについてネットアンケートを実施(7月20日)。  その結果はというと、 「当然の言い方である」と「特に気にならない」をあわせると90%! 「違和感がある」と答えたのは、たったの10%。自分、圧倒的マイノリティじゃん! 「肯定」派の皆さんの意見としては、以下のとおり。 「そもそも、なぜ、このことを疑問視するのかがわからない」(23歳・女性) 「スポーツに限らず、映画でもアニメでも感動したら、それを作ってくれた人に対して『ありがとう』と思いますよね。お礼を言いたいという気持ち、そのまんまだから」(25歳・男性) 「今回の女子サッカーについては、本当に感動したので。なでしこのみなさんには、『ありがとう』といいたい。でも……正直、去年の男子のW杯はどうでもよかった(笑)」(27歳・女性)  一方、「違和感」派の皆さんはというと……。 「言ってしまえば、こちらが一方的に感動したわけで……それを、『ありがとう』というのは、選手の努力に安易に乗っかっている感じがする」(36歳・女) 「感動して『ありがたい』ならば、感動できないのは『当たり前』になってしまうのか?と思う」(35歳・男)  そう。ひねくれ者の謗りを承知で言うと、「感動をありがとう」の言葉に、「感動した~い!」「感動しようよ!」という、なんというかお祭り気分というか、消費欲望みたいなものをどうしても感じてしまうのである。 ◆最初の「感動をありがとう」は「サンデー兆治」!? ちなみに、この『感動をありがとう』の言葉が初めて全国紙に掲載されたのは、ロッテの村田兆治選手の最後の登板を報じる記事(1990年10月14日・毎日新聞、中日新聞)。川崎球場のスタンドに「兆治 夢と感動をありがとう」の垂れ幕が持ち込まれ、「サンデー兆治」「不死身のマサカリ投法」で親しまれた村田投手とファンと“感動”的な別れを報じている。  そして、さらに1年毎に検索(※1)をかけていくと、1991年1月のオグリキャップ引退、2001年の巨人・長嶋監督引退と、着実に「感動をありがとう」の記事のヒット数は増えていく。アンケート調査するまでもなく、「感動をありがとう」はもはや、一般的な賛辞となっていたのである。どうやら。  もはや、圧倒的マイノリティとわかった今、多くは語るまい。 だって、なでしこジャパン世界一の感動もそこそこに、「上海から日本に元気を」と宣言している北島康介選手も出場する世界水泳選手権、例年以上にドラマ満載の夏の甲子園と、「感動をありがとう」ラッシュは続くのだろうから。 ※ニフティの新聞記事検索で、「感動をありがとう」がタイトルと本文に含まれる記事を検索。  文責/小山武蔵
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