どうなるマー君移籍?あまりに酷い新ポスティング制度
楽天・田中将大投手の米国移籍が注目される中、MLB(大リーグ機構)とNPB(日本野球機構)が交渉を続けていた新ポスティング制度がようやく合意しそうだ。
FA権を得る前にメジャー移籍を希望する選手を日本の球団が容認した場合、ポスティング(入札)で移籍が可能だが、MLB球団が際限なく入札できたこれまでの制度とは違い、新制度では2000万ドル(約20億円)という上限が設定されるらしい。ただし従来の制度では選手が最高額を入札した1球団としか交渉できなかったが、新制度では複数の球団が上限の2000万ドルを提示した場合、選手はその複数球団すべてと交渉し入団先を決めることができるようになるという。
◆「冗談のような金額」が上限になったワケ
しかし、2000万ドルという上限はあまりにも安い。
その証拠に、この上限額を設定したアメリカ側が自ら「安過ぎる」といっているのだ。あるメディアは「冗談のような金額だ」と書いているし、米国野球記者の大御所中の大御所であるピーター・ギャモンズ氏は「楽天は2000ドルが上限のポスティング制度に反対しただけでなく、ポスティングそのものを拒否する方向に向かうのは間違いない」とツイッターで意見を述べていた。
ニューヨーク・タイムズ紙のある記者は「笑える事実が分かった。日本の税制では、球団がポスティング料を受け取ったらその40%を納税しなければならないのだ(実際は代わりの選手補強などにかかった資金を経費として計上すれば税額は軽減できるようだが)」とつぶやいていた。米国の野球ファンからは「あまりやり過ぎ(上限を抑え過ぎ)ると選手を手放してくれなくなるかもしれないから、気を付けた方がいいのでは」という声が聞こえていた。米国は、安過ぎると分かった上で2000万ドルの上限を設定したのだ。
過去の最高入札をみると、レッドソックスに入団した松坂大輔が約5111万ドル、レンジャーズに入団したダルビッシュ有は約5170万ドルと、日本のトップレベルの投手はいずれも5000万ドルを超えている。田中には上限の最高額2000万ドルが入札されるのは確実だが、仮に2000万ドルだとして、松坂やダルビッシュと比べて6割減と単純に比較するのは実は大きな間違いだ。
もしポスティング制度に上限が設けられなければ、田中の最高入札額は7500万ドルから1億ドルになるだろうと米国内で予想されていた。今オフはメジャーのFA市場で先発投手の人材が乏しいこともあって田中が先発投手では一番の目玉といわれており「田中の値段」が大きく高騰していたのだ。だが11月に行われたメジャー球団幹部のミーティング(GM会議)で、資金力の乏しい球団が「これでは我々のような球団が入札に参加できない」と待ったをかけ、上限を設けた新システムが導入されたという経緯がある。
もう一つ田中の入札額予想が1億ドルなどという高額なものになったのは、今オフのメジャーFA選手の契約金が全体的に高騰しているためで、選手の値段がそもそも上がっているからだ。今はアメリカ社会がインフレ状態で、あらゆるものが高騰している。アメリカ各地を移動しながら取材をしているとホテル代の高騰などからインフレ度を実感するのだが、05年に井口資仁内野手(現ロッテ)がホワイトソックスに入団したとき、遠征先のボストンに取材に行ったことがあるが、ダウンタウンの中心部にあるホテルは当時1泊160ドル程度だったのが、今は500ドルである。松井秀喜氏がヤンキースに入団した03年頃にボストン・フェンウエイパークの球場から徒歩で通える場所にはるホテルは当時100ドルで泊れるところもあったが今は500~1000ドル。この10年で驚くほどのインフレになっており、それだけ米ドルの貨幣価値は変わっている。
田中の最高入札額は7500万ドル~1億ドルと予想が出たときあまりの高額に驚いた人が多かったかもしれないが、実は今の7500万ドルは数年前の5000万ドルと変わらない、というのがアメリカ人の感覚ではないだろうか。それを考えると、2000万ドルというのがいかに安いかがわかる。
そもそもポスティング制度を考えるとき、大リーグ球団がポスティング料をどう見ているかを理解する必要がある。松坂のケースでは入札料5111万ドル、契約金が6年5200万ドルだったが、メジャー球団がこれほどの高額入札をするのは日本から入札されるトップレベルの選手を6年間保有する権利が得られるからだ。松坂の場合は期待外れという評価をされてしまったが、5111万ドルで6年保有できる権利は1年当たり約851ドル。ダルビッシュも6年5600万ドルの契約を結んでおり、5170万ドルのポスティング料を6年間の保有権とすると1年当たり862万ドルだ。
まだ20代半ばと若い日本のトップレベルの投手の保有権は、こうして相場が作られていた。田中レベルの投手ならメジャー球団は間違いなく6年の保有権を望むであろうし、そうなるとポスティング料2000ドルは1年当たり333万ドルと格安だ。しかも米ドルの価値が下がっている今でこの金額なのだから、米国では3億円よりさらに安いという感覚ではないだろうか。
◆得をするのは、獲得球団だけ? 微妙な新システム
しかもこの新システム、資金力不足の球団の不満を解消するための上限設定だったはずが、そうした球団からは再び落胆の声が漏れている。複数球団が選手と交渉できるようになれば、結局は資金力のある球団が有利になるからだ。かといって資金力のある球団も手放して喜べる状況ではなく、ヤンキースはすでにチームの総年俸が膨らみ贅沢税を避けるための1億8900万ドルの限度額に迫っているため、際限なく高額な年俸を提示することはできないだろうといわれている。資金力のある球団にとってメリットが減り、資金力不足の球団も全面的には歓迎できないという微妙な制度になってしまった。MLBとしては、結局は各方面すべてを満足させる制度を作ることが難しいため、適当なところで手を打ったということなのかもしれない。
入札金の高騰を抑える効果的な制度を作るとすれば、選手の保有権を短くすることで解決できたのではないだろうか。ポスティングで移籍する選手に関しては6年保有を禁止し例えば5年までとすれば、松坂の入札額は5111万ドルにもならなかっただろうし、ダルビッシュの入札額も5170万ドルにはならなかっただろう。もっともダルビッシュの場合は、最初の5年間でサイ・ヤング賞獲得と同賞得票3位か4位を1度達成、または同賞得票2位を1度と4位までを2度といういずれかを達成すれば6年目の契約を破棄できる特別条項が盛り込まれているのだが、逆にいえば、このようなハードルの高い条件付きでなければ保有期間短縮というのはなかなかできるものではないので、だからこそ保有期間に制限をかけることは入札金高騰の抑制につながるはずだ。
それにしても日本プロ野球の選手会は、ポスティング制度で複数球団と自由に交渉できる選手の権利になぜそこまでこだわるのだろう。過去の日本人ポスティング移籍をみると、イチローでも初の日本人野手のメジャー移籍ということでマリナーズと競合する球団はほとんどなかったし、その後の石井一久、大塚晶文、中村紀洋、森慎二、岩村明憲、井川敬、青木宣親にも交渉権を獲得した球団以外に競合する球団はまったくなかったか、ほとんどなかったという状況だ。複数球団が獲得を競いあったのは松坂とダルビッシュだけで、ほとんど起こらない複数球団競合のために権利を獲得してもあまり意味がないし、田中のようなトップクラスの選手だけのためにその権利を獲得したのなら、球団がトップクラスの選手を手放すに相応しい上限金額をもっと考えた方がよかった。複数球団と交渉できることで得するのは代理人業をしている人たちくらいだろう。
さて楽天は果たして、上限2000万ドルで田中のメジャー移籍を容認するのだろうか。それはまだ誰にも分からないが、もし容認したとすれば、アメリカが舌を出しながら100回くらいガッツポーズをするのは間違いない。 <取材・文/水次祥子>
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