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新庄監督が苦言…“裏切り移籍”と波紋を呼んだ上沢直之の「日ハムとの直接対決」はいつになるのか

 パ・リーグ優勝候補の筆頭、ソフトバンクの危機を救ったのは“あの右腕”だった。  6日、本拠地みずほPayPayドームで西武と対戦したソフトバンクは、初回から打線がつながり12安打の猛攻を見せ11得点。投げては今季2度目の登板となった上沢直之が6回無失点の好投でリリーフにつなぐと、西武打線を1失点に抑え込んだ。  11-1で快勝したソフトバンクはこれで連敗を3でストップ。ようやく今季2勝目を挙げたが、いまだパ・リーグの最下位に沈んでおり、厳しい状況に置かれていることに変わりはない。
上沢直之

「ソフトバンク対西武」6回のピンチで、西武・渡部聖弥を併殺に打ち取り雄たけびをあげるソフトバンク・上沢直之 
写真/産経新聞社

 負けていれば1勝7敗の窮地に陥っていたソフトバンクだが、粘りの投球でいい流れをつくったのが上沢だった。上沢といえば古巣・日本ハムの新庄剛志監督と、オフの期間にすったもんだがあったことが記憶に新しい。

「新庄監督VS上沢」軋轢が生じるまで

 改めてここで新庄監督と上沢を巡る状況を整理しておこう。発端は23年オフに上沢がポスティングによるメジャー移籍を直訴したことだった。新庄監督は「マイナー契約という話になったら、(渡米は)勧めたくない」というアドバイスを上沢に送ったというが、当の本人はレイズとマイナー契約を締結。日本ハムへの譲渡金はわずか6000ドル(約95万円)だったと報じられた。  その後、24年の開幕直前に上沢はレッドソックスに移籍。5月にデビューを果たしたが、メジャーの高い壁に跳ね返され、2試合に登板しただけだった。マイナーでも20試合に登板したが、防御率7点台と打ち込まれ、アメリカ生活1年目は悔しい結果に終わった。  それでも憧れのメジャーという大舞台で這い上がる上沢の姿に期待したファンも少なくなかったはず……。しかし、9月に早々と帰国の途に就いた上沢は古巣・日本ハムの球団施設などで練習を続けながら、1年での日本球界復帰を決断した。

「待遇に大きな差があった」という報道も…

 日本ハムファンとすれば、上沢が12年の歳月を過ごした愛着ある北海道に戻ってくると信じて疑わなかっただろう。しかし、ライバル球団に元エースを強奪される形となってしまった。  上沢のこの決断には、23年オフにポスティング移籍を認めるという球団の厚意を仇で返されたと捉えた日本ハムファンも多く、多方面から批判が降りかかった。ただ、上沢がソフトバンクを選んだことはプロの選手としては当然のことだったともいえるだろう。  というのも日本ハムは単年の1億7000万円を提示したとされる一方で、ソフトバンクは4年総額10億円相当という大型契約だったからだ。いくら古巣に愛着があるといっても、待遇にこれだけの差があれば、心が揺れ動くのも無理はない。特に故障が付き物の投手にとっては、金額以上に4年間の保証は大きかったはずだ

正直な想いを吐露した新庄監督

 しかし、この決断が非情と映ったのか、この移籍劇に噛みついたのが他でもない新庄監督だった。  上沢のソフトバンク加入から沈黙を貫いていた新庄監督だったが、年が明けた1月に「ちょっと育て方が違ったのかな……。ああいう決断をされたのはすごく悲しい。一緒にやりたかった」と率直な思いを打ち明けたのだ。  ただ、新庄監督は一方的に上沢を責め立てるのではなく、ポスティングで移籍した選手が帰国後はFAと同等の扱いを受けるプロ野球の現行ルールに疑問を投げかけたものだった。  それでも結果的に新庄監督と上沢が対立する構図が生み出されたのは紛れのない事実だ。  3月のオープン戦で上沢が古巣と対戦した際には、新庄監督の機動力を絡める執拗な攻撃にリズムを狂わされ5回5失点と炎上している。
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ローテーション的に“直接対決”はいつになる?
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1976年、和歌山県で生まれる。地元の高校を卒業後、野茂英雄と同じ1995年に渡米。ヤンキース全盛期をアメリカで過ごした。米国で大学を卒業後、某スポーツデータ会社に就職。プロ野球、MLB、NFLの業務などに携わる。現在は、MLBを中心とした野球記事、および競馬情報サイトにて競馬記事を執筆中。

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