<ただ歌詞を読んだだけでは、言葉と音楽がどのように作用し合っているかを理解するのは難しいだろう。
つまり、アルバム『追憶のハイウェイ61』に見られるような皮肉っぽい歌詞に向かって快活で力強いバンドサウンドが対位法を奏でる、その構図を見逃してしまうのだ。
同様に、単語に対して加えられる荒々しく執拗な抑揚や、独特のフレージングがもたらす楽曲の要点も、音楽がなければ消えてしまうのである。>
(「Books of The Times; Times Are A-Changin’」 ニューヨーク・タイムズ1985年11月23日 筆者訳)
誤解を解いておかねばならないが、カクタニは「だからディランは評価するに値しない」と言っているのではない。ポップソングはポップソングで、詩は詩として扱わなければならないとの原則に忠実なだけなのだ。
つまり、ディランを論じるにあたってホメロスやサッフォーを持ってくる行為はナンセンスであると、30年前から釘を刺されているのだ。