ライフ

26歳のアメリカ人男性が広島・原爆ドームの前で言葉を失った瞬間「学校で教えられたこととのギャップを目の当たりにして…」

インバウンド需要に沸いている日本。観光地はもちろん、大きな都市ではどこに行っても外国人の姿が目に入ってきますが、日本に住み、インフレ&物価高の影響を大きく受けている日本人からすると「日本の何がそんなに良いのか?」と疑問に思ってしまいますよね。 そこで、すこし日本にゆかりのある外国人に「日本の印象」を聞くことで、我々が忘れかけていた日本の素晴らしさに改めて気づくことができるかもしれません。
ダンさん

取材の待ち合わせ場所に「日本のゴジラ」の文字と、日産「スカイライン」の絵が入ったTシャツで現れたダンさん

ニューヨーク州で生まれ、幼少期はノースカロライナ州、そして10代をカリフォルニア州で過ごしたダンさん(26歳)。父親が元アメリカ海軍所属で転勤が多かったため、アメリカ国内を転々としたそうです。現在はユタ州で航空機の整備士として働いています。 夢は2000年式日産「ステージア260RS」に乗って走ること。今回は、そんな日本車好きのダンさんにお話を伺いました。

海と空が広がる瀬戸内海沿いのドライブ

ドライブ

瀬戸内海を眺めながらドライブし、心に残る旅になったという

ほのかに日本へ憧れを抱いていたダンさんに、仕事でうれしいチャンスが与えられました。日本への出張が決まったのです。2024年8月、生まれて初めて来日。1か月間の日本滞在で、山口県岩国市とその周辺の魅力にすっかりほれこんでしまいました。 車好きだけあって、日本ではレンタカーが移動手段だったダンさん。日本とアメリカでは車の走行車線は反対ですが、不安はなかったのでしょうか。 「最初はすこし緊張しました。滞在先のホテルから仕事場までの通勤もアメリカからいっしょに来た同僚たちと車だったので、数日で感覚をつかめました。でも慣れたころに“気”ってゆるみますよね。だから車の中では運転手だけの責任じゃなく同僚みんなで、正しい車線を走っているかの確認を怠りませんでした」

日本の焼き肉店で“王様のようなおもてなし”に大満足

焼き肉

焼き肉店で次々と肉を焼いて盛り上がるダンさんたち

日本滞在中にお箸の使い方をマスターしたダンさん。しゃぶしゃぶにも挑戦しましたが、一番のお気に入りは焼き肉だったそうです。 「煙がたちのぼるグリルの上で、みんなで代わるがわる肉をジュージューと焼くのが最高でした! お店のスタッフは一つひとつの料理を丁寧に運んできて、笑顔で私たちを気遣ってくれました。まるで王様になった気分でしたよ。 王様気分だなんて、大げさだなと思うかもしれませんね。でもアメリカでは、不機嫌そうな仏頂面で、放り投げるようにお皿をテーブルの上に置く店員さんも少なくないんです。それに肉を焼くと油が散るはずなのに、店内全体がすごく清潔なんです」 飲み物は、同僚3人はビール、そしてダンさんは健康上の都合でソーダを注文。それでもお会計は4人合計で約50米ドル(1米ドル150円で計算すると7500円)だったそうです。 「あんなに赤身がきれいで鮮やかなお肉、初めて見たんです。次々と肉を焼いて、食べて、飲んで、笑って、最高のおもてなしを受けて。しかもチップを払わなくていいなんて。すべてがびっくりでした。そのうえ私たちがお店を出るとき、スタッフ全員が並んで、お辞儀をしてお礼を言ってくれたんですよ。こんな経験、生まれて初めてです」 アメリカには料理代とは別に、サービスをしてくれたスタッフへ感謝の気持ちとして渡す「チップ」というシステムがあります。最高のおもてなしを受けて、チップをはずもうと思っていたダンさんたちにとって、不思議な感覚だったのかもしれません。
次のページ
広島の原爆ドームの前で言葉を失った瞬間
1
2
2001年渡米、ユタ州ウチナー民間大使。アメリカでウェイトレスや保育士などの様々な職種を経験した後、アメリカ政府の仕事に就く。政府職員として17年間務めるがパンデミックをきっかけに「いつ死んでも後悔しない人生」を意識するようになり2023年辞職。RVキャンプやオフローディングを楽しむのが最高の癒しじかん。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」会員
記事一覧へ
おすすめ記事
【関連キーワードから記事を探す】