男たるもの女という花を引き立たせる最高の花瓶でありたい――爪切男のタクシー×ハンター【第二十九話】
―[爪切男の『死にたい夜にかぎって』]―
終電がとうにない深夜の街で、サラリーマン・爪切男は日々タクシーをハントしていた。渋谷から自宅までの乗車時間はおよそ30分――さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、密室での刹那のやりとりから学んだことを綴っていきます。
【第二十九話】女は花、男は花瓶。
同棲中の彼女がアパートのベランダで花を育てたいと言い出した。不眠症にパニック障害という複数の病を抱えて病気療養中の彼女が、家で出来る趣味を見つけてくれたのはいい気分転換にもなるだろうし、大変喜ばしいことなのだが、飽き性の彼女が最後までやり遂げられるか心配だった。
私の祖父は菊の花の栽培を営んでいた。特に大菊という大輪の花を咲かせる品種を主として育てていた。栽培の腕前は確かなようで、大規模な菊の品評会で何回も大賞を受賞していた。「菊は他の花より充分な日光と肥料が必要なのに加えて、繊細さも持ち合わせた面倒な花なので、日々の細やかな手入れが必要だ。素人には育てるのが難しい」と祖父はよく言っていた。毎年、我が家の庭が白、黄、紫の色鮮やかな菊の花で埋め尽くされるのは、小学生の私から見ても美しい光景だった。
ただ、祖父は品評会のことばかりを考えて、うまく育たなかった菊を粗末に扱っていた。そんな可哀そうな菊達と、母親に捨てられた自分の姿がダブって見えた。私は祖父からそんな菊達を譲り受けて自分で育てることにした。祖父からアドバイスを受けながら、自分の子供のように毎日毎日世話をした。美しい大輪の花を咲かせることはなく、ちょっと濁った感じの汚い花が咲いたが、私は嬉しかった。菊の世話をしている時に突然鼻血が出たことがあり、ふと自分の血を菊に垂らしてみた。大輪の白い菊の花が赤に染まっていく様子は美しかった。品評会では評価されない美しさがそこにあった。
花の育て方にはその人の美学が出ると思う。祖父のように誰からも美しいと言われる花を育てることに執心するのもよいが、花が咲いて、やがて枯れてしまうまでの一生を見ている方が私は好きだ。枯れていく花にも特有の美しさがある。リング狭しと飛び跳ねていた頃の全盛期の武藤敬司のプロレスも好きだが、膝を悪くして満足に動けなくなった現在の武藤敬司のプロレスも味があってたまらない。武藤敬司の存在そのものが花なのだ。咲いてるだけが花じゃない。
この女がどんな花を育てるのか楽しみになってきた。私は首を縦に振り、彼女の頭をポンポンと叩いた。
『死にたい夜にかぎって』 もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー! |
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