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SHOW-YA 伝説の北朝鮮ライブ2days at June 1991の衝撃――2人の日米ハーフ女性シンガーたち

歌謡曲からジャパメタへ受け継がれた“日米ハーフ女性シンガー”のバトン

 戦後日本の歌謡曲はアメリカとの関わりが深く、アメリカ文化の影響が濃い。戦後しばらくの間は、食器や趣向品など、音楽に限らず、さまざまなジャンルで舶来品が尊ばれていた。そして国産品は粗悪だとの共通認識があった。  歌謡曲の成り立ちには、「連合国軍最高司令官総司令部」(GHQ)による占領が大きく影を落としている。占領期間中、GHQは日本に対して芸能慰安の提供を要求し、日本各地でキャバレーやクラブが作られた。日本が貧しかったあの時代、ミュージシャンは特需にありついていた。またアメリカ人男性と日本人女性による日米ハーフの子どもらもたくさん産み落とされた。  1960年代の歌謡曲は、戦勝国アメリカの消費文化に対する憧れもあって、洋楽カヴァーの楽曲が多くを占めていた。そしてそれは、日本人の作詞・作曲による欧米の雰囲気漂う「和製ポップス」へと発展した。  その歌い手として好まれたのが、日本人と外国人のハーフの女の子であった。そのような経緯から、70年代までは、アメリカ人男性と日本人女性による日米ハーフの女性シンガーが少なくなかった(青山ミチ、杏真理子、山本リンダ、恵とも子、小畑ミキ、泉アキ、小山ルミ、マーガレットなど)。  その極め付けは、1970年にデビューした女性5人組グループのゴールデン・ハーフだろう。何しろ全員が外国人(アメリカ、ドイツ、イタリア、スペイン、タイ)とのハーフという設定だったのだから。  だが80年代を迎える頃には、歌謡曲界隈で日米ハーフの女性シンガーはほとんど見かけなくなっていった。  だが、ジャパメタ・シーンでは、80年代には前回の記事で紹介した“嬢メタルの元祖”カルメン・マキと今回紹介する喜屋武(きゃん)マリーとステファニー、3人の日米ハーフの女性シンガーがいた。ちなみに“歌謡メタル”への進化途中に位置する“歌謡ロック”に属するアン・ルイスも日米ハーフである。
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『うる星やつら』の主題歌を唄ったステファニー
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ジャパメタの逆襲

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