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SHOW-YA 伝説の北朝鮮ライブ2days at June 1991の衝撃――2人の日米ハーフ女性シンガーたち

沖縄が生んだ日米ハーフ女性シンガー、喜屋武マリー

 喜屋武マリーは、70年代から活躍し、80年代後半に注目された沖縄出身の女性シンガーだ。筆者が喜屋武マリーを知ったのは、90年代初頭、音楽評論家の和田誠のラジオ番組でだが、世間では、深夜番組『トゥナイト』キャスターとして有名な利根川裕著による1986年に出版された『喜屋武マリーの青春』(南想社)、または1989年に映画公開された『Aサインデイズ』(崔洋一監督)だろう。  映画のタイトルになっている「Aサイン」とは、マリーの夫である喜屋武幸雄が経営するバーの名前である。映画の方は、『喜屋武マリーの青春』に書かれている貴重な情報や沖縄の歴史的事件などがまったく生かされておらず、あまりにも哀れな内容だった。  彼女は、アメリカ軍人と沖縄女性との間に生まれた。父親はベトナム戦争で戦死している。彼女の中学校の同級生に、ハーフの“チビ”こと宮永英一がいた(彼は『超時空世紀オーガス』の主題歌を唄ったケーシー・ランキンとユニットを結成した経歴もある)。マリーが音楽に関心を持つ頃、後にマリーの夫になる喜屋武幸雄と出会う。沖縄ハードロックの始祖的な存在だ。幸雄の祖母は暴走したアメリカ兵の車に跳ねられて死んでいる。そのアメリカ兵は、基地内の裁判で無罪判決になっている。  沖縄ではこのようなことが何度も起きていた。度重なるアメリカ兵の横暴な行為に不満が爆発し、1970年に「コザ暴動」が発生する。幸雄はアメリカを憎むも、アメリカ兵を客にして演奏する……。当時の沖縄の市民は、誰もが複雑な思いを持っていただろう。

沖縄のハードロック・シーン

 沖縄のハードロックといえば、まずは紫とコンディショングリーンが思い出される。1971年、沖縄ハードロック・シーンに紫、キャナビス、コンディショングリーンの3つのバンドが勢揃いした。  コンディショングリーンは、“カッチャン”こと川満勝弘がヴォーカルのバンドで、人間トーテムポールなどの奇怪なパフォーマンスが売りだった。  また、フィリピン人軍属とのハーフである城間兄弟が結成したピーナッツに、日系二世の父と沖縄人の母の間に生まれた日系三世の“ジョージ紫”こと比嘉ジョージが加わって、紫が誕生。その名のとおり、英国のハードロック・バンドDeep Purpleに瓜二つのサウンドを聴かせるバンドである。紫は自ら経営していたライヴハウスがあったので、経営者や契約金などに振り回されることなく、ロックのみに打ち込めた。
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へヴィメタルも海外輸出の時代へ
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