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ゴージャス・ジョージ 豪華なジョージは“時代の子”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第2話>

ゴージャス・ジョージ 豪華なジョージは“時代の子”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第2話>

『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』#002は「ゴージャス・ジョージ 豪華なジョージは“時代の子”」の巻(イラストレーション=梶山Kazy義博)

 テレビ――第二次世界大戦後のテレビ・ブーム――が生んだ最初のスーパースターである。  日本ではテレビ=メディアが力道山という戦後の国民的スーパースターを誕生させ、プロレスの人気がテレビを一般家庭に普及させたといわれているが、アメリカでも1940年代の終わりから1950年代前半にかけてのテレビ創成期の人気番組はプロレスだった。  開局したばかりのニューヨークのCBS、シカゴのABC、ロサンゼルスのWNBTといったテレビ局がこぞってプロレス番組を制作。アメリカじゅうにプロレス・ブームを巻き起こした。  “映画の都”ロサンゼルスのハリウッド・リージョンから全米中継されていたプロレス番組の主役がゴージャス・ジョージだった。  ジョージは“時代の子”としてブラウン管に登場した。モノクロの画面のなかでもキラキラと光るプラチナ・ブロンド、大きなウエーブのかかった髪とその髪をまとめる無数のボビー・ピン、金と銀のスパンコールがちりばめられたロングガウンが“豪華なジョージ”のトレードマーク。  バトラー(執事)がリング上に香水“シャネルの10番”(シェネルの5番の2倍の効きめ)をふりまき、女性マネジャーがバラの花を観客席に投げ込むといったこまかい演出のひとつひとつがジョージの定番の入場シーンになっていた。  ニックネームは“トースト・オブ・ザ・コーストThe Toast of the Coast=西海岸の人気者”と“センセーション・オブ・ザ・ネーションThe Sensation of the Nation=国民的センセーション”。  トーストとコースト、センセーションとネイションの語感がアメリカ英語独特のライムrhyme=韻になっていて、これが耳に残るフレーズとして親しまれた。  “リーダース・ダイジェスト”誌が命名したニックネームは、そのものずばり“ミスター・テレビジョンMr. Television”だった。  テレビ時代が生んだ視覚的エンターテイナーだったが、おしゃべりもひじょうにうまく、主演映画『エイリアス・ザ・チャンプAlias The Champ』が制作され、ハリウッド映画にもよく“本人役”でゲスト出演した。  入場テーマ曲は、シェイクスピアの『オセロー』第3幕第3場でのオセローのセリフがヒントになったとされるエドワード・エルガーの名曲“ポンプ・アンド・サーカムスタンス=威風堂々”。“マッチョマン”ランディ・サベージがこの曲をアダプトするのはそれから30数年後のことだった。  あのモハメド・アリも“豪華なジョージ”のプロモーション・スピーチに影響を受けた――アリが「少年時代にテレビで観た」と記憶していた金髪の悪役レスラーは、じっさいにはジョージではなくフレッド・ブラッシーだったという説もある――ひとりといわれている。 フォーク&ロックの巨匠、ボブ・ディランの回想録『クロニクルズ』のなかにも「わたしは10代のころ、ゴージャス・ジョージにインスパイアされた」という記述がある。
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ジョージの下積み時代
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