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ウンコを漏らしたことのない奴に、人の痛みを知ることはできない――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第10話>

漏らしてからすべては始まる

 うんこを漏らしたくて漏らす人はこの世にはいない。  直前まで我慢し、人間としての尊厳を賭け、全てを出して全力で、必死で戦うのだ。農民たちは必死で織田軍を食い止めた。それでも、ダメだった。その必死なまでの戦いを誰がバカにできるだろうか。うんこを漏らしたことがない人たちはそれが分からない。必死で戦い、届かなかった思いを想像することができない。  ヤスノリさんの笑顔は、悲しみも、挫折も、届かなかった思いも、全てを理解している顔だった。  きっとこう言いたかったのだろう、うんこを漏らしたって人生は終わらない。むしろ始まるんだ。そんな優しさに包まれた笑顔だった。  結局、僕は整理券をもって巨乳を誘ったが、乳を振るわせながら断られた。クラスのイケメンと行くらしい。  早い話、振られたのだ。それでもまあ、無駄に苦労して手に入れた整理券だし、行ってみるかとオープン日にカフェに行くと、ヤスノリさんは無課金でも毎日1回引ける無料のガチャで手に入る黄色のキャラみたいな女を連れてコーヒーを飲んでいた。  一人で来ている僕の姿を見て全てを察したのか、近寄ってきて、こう呟いた。  「女に振られたくらいで人生は終わらないから」  そう言ってまたあの笑顔で親指を立てて見せた。きっと女に振られたくらいなんてことないのだろう、なにせうんこを漏らした大人がそう言ってるのだから。  大人になってからうんこを漏らすということは、挫折も絶望も、悲しみも、この世の理不尽も、あらゆる悲しみを知っているということである。  それらを知って初めて人は人に優しくできる。だから僕は、大人になってからうんこを漏らしたことがある人を信頼する。きっとその人は痛みを知る人だから。  多くの人が大人になってからうんこを漏らすべきである。人生は終わらない。きっと優しさに包まれた世界がやってくるはずなのだから。  カフェの喧騒はどこか心地よく、病んでるウサギのマスコットも優しく微笑んでいた。 【pato】 テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。ブログ「多目的トイレ」 twitter(@pato_numeri
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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