雑学

いつも同じ馬券を握りしめていた男の、哀しき誤算――patoの「おっさんは二度死ぬ」<第7話>

 昭和は過ぎ、平成も終わりゆくこの頃。かつて権勢を誇った“おっさん”は、もういない。かといって、エアポートで自撮りを投稿したり、ちょっと気持ちを込めて長いLINEを送ったり、港区ではしゃぐことも許されない。おっさんであること自体が、逃れられない咎なのか。おっさんは一体、何回死ぬべきなのか――伝説のテキストサイト管理人patoが、その狂気の筆致と異端の文才で綴る連載、スタート!

patoの「おっさんは二度死ぬ」【第7話】魂の3連単3-4-5

 洋平さんは3連単の3-4-5しか買わなかった。

 東京都の府中市にある東京競馬場は日本で最も有名な競馬場だ。日本中央競馬会(JRA)が主催するレースにはそのレースの規模によってグレード制が設けられている。その最上位グレードであるGIレースは年間で26レース設定されているが、そのうちの3割にあたる8レースがここ東京競馬場で開催される。

 最も大きいレースである日本ダービー(東京優駿)では10万人以上を動員し、大規模な競馬の祭典として大きな賑わいを見せる。

 勘違いされがちなのだが、いくら競馬場といえども、一年を通じて常にレースが開催されているわけではない。JRAが所有する競馬場は日本全国に10か所あり、それらが時期をずらして開催されているのである。だいたいが2か所、多くて3か所の競馬場でレースが開催されているのだ。逆に言えば、一年中どこかの競馬場でレースが開催されていることになる。

 つまり、大きなレースが多い東京競馬場であっても1年のうちの5か月程度しか開催されておらず、さらにその開催期間中であっても土日しか動かないのだから、かなり稼働率の低い巨大施設となっているのだ。

 では、開催されていない時の競馬場はどうなっているのかというと、もちろん平日は閉鎖されているが、土日は他の競馬場でレースが開催されているわけであり、レースはないが別競馬場の馬券を買うだけの場所、場外馬券場として開放されているのである。レース開催時は人でひしめき合う東京競馬場が閑散とする瞬間だ。馬たちが必死に走る芝コースもただ静かに佇んでいるだけだ。

 僕はこの単なる場外馬券場と化した東京競馬場の風景が好きだ。いつもは熱気に溢れている場所が静まり返っていて、なんだか詫び寂びの極致、そんな気がしてくるのだ。

 そして、そんな枯山水のごとき人のいない競馬場で、洋平さんに出会った。

 正確には、洋平さんの知り合いであるコースケと呼ばれる青年と知り合いだったのだが、そのコースケがすごく面白いおっさんがいる、と洋平さんを紹介してくれた。

 洋平さんは妙なこだわりをもっているおっさんだった。偽物のピューマのジャージのさらに偽物みたいな服を着ていて、完全にしょぼくれていて、前歯がなかった。なんでも離婚した嫁にカンナで殴られた時に折れたらしい。どういう状況だ。その歯の抜けた空間部分にタバコを挟み込み、モワっと煙を吐き出すのが洋平さんのスタイルだった。

 洋平さんはレースが開催されていない時しか東京競馬場に来ないと言っていた。こういった閑散とした競馬場を見るのが好きなのだという。僕と同じだ。人もまばらで、売店も半分以上閉鎖されている、その光景が好きなのだという。だからこれだけ通っているのに東京競馬場で馬を見たことがないそうだ。

 そしてテレビ画面を見ながら他の競馬場で開催されているレースの馬券を買うのだ。ここでも洋平さんのスタイルは決まっていた。必ず3連単の3-4-5を100円だけ買うのである。1日に12レースあれば1200円だけ3-4-5を買う。どんなレースであろうと、どんな馬であろうと3-4-5なのだ。

「なんで3-4-5だけなんですか?」

そう質問したことがある。答えはなかった。

 3連単の3-4-5とは多くて18頭出走するレースにおいて、3番の馬が1着に入り、4番の馬が2着に入り、5番の馬が3着に入らなければならない。4896通りある組み合わせの中の1通りなので確率的にいっても1/4896である。まあ、当たらない。

「当たったことあるんですか?」

 そう訊ねると洋平さんは首を横に振った。やはり当たらないらしい。ただ当たった場合は大きく、おそらく100円が何十万円にも何百万円にもなるのである。それに賭ける男のロマン、そんなものがあったのかもしれない。なんだか洋平さんのことがかっこよく見えてきた。

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洋平さんは、戒めを再び破ろうとしていた

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