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元貴乃花親方、なぜか人が離れていく波乱の人生ヒストリー

 2018年10月1日、日本相撲協会は、元貴乃花親方(元横綱・貴乃花)の花田光司氏(46歳)からの退職届を受理し、正式に親方から退職したことを発表した。
貴乃花

『生きざま 私と相撲、激闘四十年のすべて』

 元横綱・日馬富士(34歳)による、弟子・貴ノ岩(28歳)への傷害事件の対応について、元貴乃花親方は相撲協会の調査に疑問があるとして、内閣府に告発状を提出するなど、遺恨を残していたのはご存知のとおり。  親方からの、退職ではなく引退を表明した記者会見では、その告発の内容が事実無根であると認めるよう、協会からの圧力があった主張。引退の理由は、真実を曲げて告発が事実無根だと認めることはできない、というものだった。  相撲協会側の体質にも問題があることは確かで、貴乃花部屋の消滅に際しては弟子が涙を見せる場面もあり、元貴乃花親方は体制の犠牲者として世間から見られている節がある。だが、協会側にも言い分があるのも間違いないだろう。そう、元貴乃花親方の過去を振り返れば、そのパーソナリティーにも問題がないとは言い切れないからだ。  そこで今回は、現役時代に22度の優勝を誇り「平成の大横綱」と称された元貴乃花親方の、波乱万丈なヒストリーを振り返ろう。

若貴フィーバー:兄弟揃って活躍し、相撲ブームの牽引役に

  「角界のプリンス」とよばれ、大関にまで上り詰めた先代・貴乃花を父に持ち、兄・花田虎上(47歳)と共に、相撲界にサラブレットとして入門、とんとん拍子で出世した元貴乃花親方。父の名前を継ぐ以前の貴花田時代の1992年には、19歳5ヶ月の史上最年少で幕内優勝も果たしている。  元貴乃花親方と花田虎上は、その出自のせいもあり、入門して以降、メディアに過剰に注目さていたが、それにつぶされることなく活躍を見せた。このことで、平成初期に一大相撲ブームを巻き起こし、兄の四股名・若花田とあわせて「若貴フィーバー」と呼ばれた。
兄弟横綱

『兄弟横綱―若貴の心・技・体』

宮沢りえとの破局騒動:トップアイドルとの婚約&スピード破局

 ブームとときを同じくして、話題を振りまいていたのが宮沢りえ(45歳)とのすったもんだ。  映画やドラマに主演するトップアイドルとして活躍し、1990年には紅白歌合戦(NHK)にも出場した宮沢りえ。しかし翌年には、当時18歳という若さでヘアヌード写真集を出版し、世間に大きな衝撃を与えた。また、通称・りえママと呼ばれる、マネージャーとして辣腕を振るっていた母親の存在も注目を集めていたものだ。  そして1992年11月、貴花田と宮沢りえの婚約が発表される。相撲界と芸能界を席巻し、世間的にも人気の高かった二人の婚約は、世紀の大カップル誕生として、大きな注目を集めたのである。  だが、それからたった2か月後、二人は破局を迎えることに……。史上最年少大関となったその日に会見を開いた貴乃花は、「(宮沢りえとはもう)連絡もとっていない、会ってもいない」と語り、その後、宮沢も破局を認めたのだった。
紙の月

映画『紙の月』

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