「カズ酒井と東京ダンディ」
「企画は面白いと思うんですけど、これはリーダーとして酒井さんが入らないとコントロールできないですよ。どうです、プレイングマネジャーという立ち位置でメンバーとしても入ってもらえませんか?」
当時、プロ野球界でヤクルトスワローズの古田敦也が、野村克也以来29年ぶりの選手兼任監督となり、話題をふりまいていた。時流に乗ったわけではないが、それもいいかなと思い酒井は引き受ける。
ここでお気づきと思われるが、純烈には「カズ酒井と東京ダンディ」という前身があった。小田井と白川は、そのメンバーでもある。当時、東京理科大学の学生だった後上は、メンバーとして誘われたさいにそのPVを見て「ちょっとダサいな」と思ったという。
会話の中で何気なく口にした「ムード歌謡ぐらいまでやらないと」のひとことは、思いのほか酒井の深層心理に根づいたものだった。それが有名な「夢の中に前川清さんが出てきた」につながるわけだが、じつはもう一つの発見ももたらした。
前川が出てくるということは、夢の中に出演しているのは当然ながら内山田洋とクール・ファイブである。目が覚めたあと、頭の中で見たものを酒井は反すうした。
「今日も前川さんが出てきたな。あれ? その後ろにいるのが内山田洋で……こっちがリーダーなのか。ということは、この人がなんでも決めてんだよな。そっちの方が自分のやりたいことを全体的な形でできるんじゃね?」
ステージ上のポジションとは別の力学を、夢によって意識した。つまりは、プロデューサーという立ち位置である。
ムード歌謡グループをプロデュースする……酒井の中で、やるべきことが固まった――。
「どのジャンルにも、すごく有能なのに社会では通用していない人たちっているんですよ。マッスルも、僕が携わっていた頃にバーン!と上がって世に届いていたら、よくない方向にいっていたと思う。それほど坂井がクリエイターとしての生みの苦しみに押し潰されて、精神的にまずい状況だったから。僕は、そういうタイミングで会うことが多いんです。
それで坂井は、これ以上続けるよりは……というタイミングで一度引退を決意し、実家の金型工場を継いだ上でもう一度プロレス界に戻ってきて、スーパー・ササダンゴ・マシンとしてブレイクした。マッスルは、あそこでいったん終わってよかったんです。それ以上いくとヤバいというデッドラインを僕はまたいでいるからわかるんですね。またがないと、自分でいいと思ったことをメジャーにはできないですから」
酒井は、世に出ていなくてもポテンシャルを秘めた人間たちを各ジャンルで見てきた。純烈も、スタートはそういうグループであり、それでもやるからにはメジャーにならなければと思った。
世間と個人的価値観、メジャーとクオリティー、芸能界と一般社会……一本の線をはさみ右と左に分かれる二つの世界で、目測を誤ることなく渡り歩く。その経験値をもとに弾き出されたのが「紅白にいける」という確信だった。