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<純烈物語>「俺、紅白に出るわ! そこまでは耐えてくれ」<第4回>

「俺、紅白に出るわ」

「足を折って、家で毎日ゴロゴロしていた旦那がある日、奥さんに『俺、紅白に出るわ。それまでは全然、家に金を入れられないけど、20年後には好きなだけ買い物できるようになるから、そこまでは耐えてくれ!』と言い出すわけです。ウチの奥さんとしては『ハァ!?』ですよ。ずっと家にいる旦那がよくわからないけど動き出すというぐらいの認識だったと思います。  だから、はじめから奥さんは知っているんです。純烈には興味ないし、現場で僕が何をやっているかも話さないから、聞いていても右から左なんでしょうけど、僕からすれば聞き役になってくれるだけで、ウチの客層の反応をシミュレートできる」  その時点で何も実績がないのだから紅白に出られると宣言したところで、妄想のひとことで片づけられていた。百歩譲って、もっとカジュアルな分野にすればいいじゃないかという声もあったが、酒井は「違うんだよ。ムード歌謡じゃなければ、俺らは紅白なんていけないんだよ!」と心の中で反論した。  調べれば調べるほど、音楽業界の中でムード歌謡は敬遠されていた。それは、ジャンルとしてマジョリティーかどうか以前にコスト上の問題が大きかった。ならば、自分たちが株主のように切り盛りしていくシステム……つまりは、情熱や時間をかけるというプリミティブで地道なやり方でいくしかない。 「それを5年もやったら向かい風が追い風になっていくはず。演歌や歌謡曲は芸能界の神髄という部分があって、大きいプロダクションを経営している人たちはナベプロとかでマネジャーをやっていた叩き上げだから、キャンペーンも含めて全部経験している。そういう人たちが『俺らが現場でやっていた頃に這いつくばっていたやつだから』って、絶対に応援してもらえると思っていたんです。  俺、今は力があるから助けてやるよと。人間、自分の青春時代って肯定したいじゃないですか。あの頃は面白かったよなーって、よく言うでしょ。それを今やっているやつらがゼロだったから、一つ出てくれば喜んで力になってくれる。僕は人たらしなのかもしれないけど、そこに可能性を見いだして続けるうちに、本当にみんながフォローしてくれた。その結果が、今の純烈なんです」
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売
純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。
白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
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