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オタクからアイドル事務所社長になった男の野望「業界を守っていかなきゃと思っている」

 昨今、有名アイドルグループのスキャンダルや解散が相次ぎ、業界自体の勢いも落ちているアイドル業界。  そんな低迷するアイドル業界に近年、新風を吹き込んでいる男がいる。自分自身をプロオタクと呼ぶ彼は木本憲志、通称へなぎ氏だ。
ライブ中のへなぎ氏

ライブ中のへなぎ氏

 事務所を運営する立場だが、今も現役のアイドルオタクという彼は、『HNGSONIC』(へなぎソニック)という自身の名前がついたアイドルイベントを開催し、自らステージにも上がる。アイドルイベントでは黒子に徹することの多い事務所の人間がステージにまで上がるというのは珍しいことだ。  元アイドルオタクがアイドルをプロデュースする側に回るというのは、業界ではよくあることだが、道半ばで挫折する人が多いのが現状。一体、彼はどんな人生を歩み、アイドルオタク、そしてアイドル事務所を立ち上げることになったのか。  オタク文化に目覚めたきっかけから現在に至るまでの人生を取材した。

主催した初めてのイベントには30人しかこなかった

「僕は岡山県で生まれ育ったんですけど、土地柄的にエンタメがなく、家族揃って見るテレビ番組が唯一の楽しみだったんです。アイドルの出る音楽番組はもちろん、野球やサッカー、競馬まで家族みんなで見て楽しんでいました。  アイドルを好きになったきっかけは、中学1年生のときに父親がモーニング娘。のCD『ラブマシーン』を買ってきたのがキッカケで、中学生ながらライブに何度も通ったり、おじさんたちに混ざって関西地方で行われていたファン同士のオフ会にも参加していましたね」  その後、高校、大学とアイドルオタクとしての日々を過ごしたへなぎ氏。当時応援していたメンバーの卒業を機に一度アイドルオタクをやめた時期もあったというが、旅行帰りに立ち寄った秋葉原のAKB劇場で再びアイドルオタクとして活動を始める。 「たまたま立ち寄った劇場公演で一目惚れをしてしまい、一時期やめていたアイドルオタクとしての活動をまた復活しました。大学時代に住んでいたのは兵庫県だったんですが、当時彼女が出演する劇場公演には全て通ってましたね」  その後、AKB48の人気が出だしたのをきっかけに彼の好きなメンバーは劇場公演への出演数が少なくなった。そこで出会ったのが“地下アイドル”と呼ばれる存在だ。 「今でこそ地下アイドル自体の数が増えたし、アイドル業界全体のファン数も増えたのでそれなりに集客が見込めるコンテンツになりましたけど、当時は関西のトップグループでも1つのライブに30人呼べれば御の字、という時代。僕もその30人のうちの1人でした」  当時はどんなアイドルオタクだったのか。 「プロデュースする側に回ってみて初めて感じたんですが、かなり厄介なオタクだったと思います。好きなメンバーの誕生日を祝う生誕祭ってイベントを『もっと大掛かりにやってほしい!』と直談判して運営と揉めたり、ブッキングにケチをつけたり、1オタクの分際でかなり深いとこまで口出していましたからね。かなり迷惑だったと思います(笑)」
アイドルオタク時代のへなぎ氏

アイドルオタク時代のへなぎ氏

 そんな時、行きつけのバーの店主から『そんなに自分の思い通りにやりたいならイベントのブッキングをやってみないか?』という誘いを受けた。「自分でブッキングをすれば、呼びたい女の子たちを好きに集められるし、最高じゃん! なんて軽い気持ちで受けたのがいまの仕事の走りですね」と笑いながら当時を振り返るが、それも最初はうまくいかなかった。 「イベント全体で50人呼べれば大盛況と言える程度しか関西にファンがいないわけですから集客にとにかく苦労しました。アイドルはもちろん、人を呼べそうならメイドカフェのメイドにまで声をかけ、とにかく集客が見込めそうな人を集めることだけを考えていた気がします」  結果、最初のイベントでの集客は約30人。今考えれば少ない数字だが、当時は「この集客でもすごかった」と振り返る。その後もイベントをプロデュースし続け、初イベントから3ヶ月後に来場は100人を超えるようになったという。何がそんなに人々を引きつけたのか。 「当時の地下アイドルのイベントって地元の商店街や空港とか、地域の催し物での活動が多かったんですけど、僕が開催するイベントはライブハウスで大人数でオタ芸をしたり、僕がステージに上がって歌を歌ったり、完全にアンダーグラウンド寄りのものばかりでした。でもそれが一番盛り上がるんです。どう考えてもカラオケの延長線上なんですけど、そんなことをやっているところが他にありませんからね」
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