更新日:2019年12月03日 15:03
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安倍内閣が史上最長…無能な働き者に限って地位にしがみつく典型だ/倉山満

安倍晋三内閣が桂太郎内閣を超え史上最長の通算在任日数となった。これは何の冗談なのか?

 ところで、意外に知られていないが、昭和の大日本帝国は滅びようがない国だった。それなのに、「ソ連の片手間の中国の片手間のイギリスの片手間に、アメリカに喧嘩を売る」などという国家の集団自殺としか言いようがない愚かさによって滅んだ。  一方、日露開戦直前、御前会議は亡国前夜のお通夜の様相だった。どこをどう考えても勝てる要素がない。しかし、奇跡を起こし勝った。なぜ奇跡を起こし得たのだろうか?  十点あげる。  第一は、政府の強力な政治指導である。内閣の上には伊藤博文や山県有朋らが元老として控えていたが、桂は先輩政治家である彼らを上手く使った。  第二は、味方を作ってから戦った。言うまでもなく、日英同盟である。  第三は、やめることを考えてから開戦した。早くからセオドア・ルーズベルト米国大統領への和平の仲介を根回しさせていた。  第四は、軍人の抜擢人事である。特に副総理格の山本権兵衛海相は、東郷平八郎連合艦隊司令長官など、有為な人材を登用した。  第五は、陸に海に連戦連勝を続けた。それを可能にしたのは、長い間の勝つための訓練である。  第六は、大将の人徳である。陸では苦戦が続き、戦死者が大量となったが、乃木希典大将に文句を言う人間など、一人もいなかった。  第七は、挙国一致国民の支持である。桂は反対党に頭を下げ、挙国一致体制を実現した。  第八は、正しい経済政策である。金策には苦労したが、おろそかにしなかった。  第九は、インテリジェンスの成功である。明石元二郎大佐を信じ、絶大な権限を与えた。  第十は、戦争の止め時を間違えなかった。決して、軽佻浮薄な精神論には流されなかった。  このすべてが、昭和には失われたのだから、負けるに決まっている。  なお、第三次桂内閣は五十日で退陣に追い込まれた。桂は、日本に二大政党制を根付かせようとして新党結成を試みたが、民衆の理解に届かず、罵声の中で退陣に追い込まれたのだった。ただし、桂の死後、日本は「憲政の常道」を実現する。  そう言えば、安倍内閣が桂内閣を超えたとか。何の実績があるか知らないが、今からでも第三次桂内閣を見習うことはできるのではないか?
1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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