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菅政権のコロナ対策が支離滅裂である根本理由。どうなれば“収束”なのか/倉山満

どうなれば「コロナが収束」なのか、結局、風任せなのだ

 まず、これは自然科学でも社会科学でも同じだが、何の勝負なのか? 勝負と言うからには、勝利条件がある。勝利条件は何だったのか。誰か聞いた者がいるのか。いるはずがない。誰も言っていないのだから。  仮に感染拡大を0にするのが条件なら、敗北だろう。逆に30にするなら、25は勝利だ。その程度の議論すらなく、ただ「何となく」いつか訪れるはずの収束に向けて努力を強いる。これは政治ではない。  医学の専門的知見は、コロナの感染拡大を何%に抑えれば「勝利」なのかを考える材料を提供することにある。もちろん、感染拡大防止の数字だけで、すべてを決めよとは言っていない。しかし、政府を通じて権力を行使し、国民に我慢を強い、総理大臣に「勝負」と言わせるなら、何が勝利なのかの条件を明示すべきだろう。まさか、コロナの感染者(実は陽性者)をゼロにするではあるまい?  そして、「その勝負をすべきかどうか」「その勝利にどんな意味があるのか」の価値を問うのが、人文科学である。これを判断するのが政治である。政治こそ、目的の合理性を問う人文科学なのである。  ここで勝手に、菅首相の本音を推測する。  安倍内閣の官房長官のとき、中国で新型の伝染病が発生した。オリンピックや習近平来日があるので騒ぎにならないようにしていたが、結果的に逆効果で対策がすべて後手に回った。未知の伝染病で得体が知れないので悲観論の医者の助言に従って極端な自粛をさせたが、今度は経済が危なくなってきた。だから「Go To」のようなバラマキを行ったが、マスコミは毎日「感染者」の数を煽り、多くの国民が恐れ慄く。だから、薄々は「例年のインフルエンザよりも死者数が少ないのに」と思っていても、何も言えない。  政権は「ワクチンか特効薬が開発されればコロナを収束させるつもりだ」との見立てもあるが、それは風任せと同じだ。普通、ワクチンや特効薬の開発には3年かかるはずだが。  結局、どうなればコロナが収束するのか、いかなる言葉を並べようが、風任せなのである。そして、科学的議論ができない者に限って、言葉だけが並ぶ。

総理大臣にとって最大の仕事は何か

 大東亜戦争末期、誰がどう見ても敗色濃厚な時でも、過激派が暴れまわり、冷静な議論をさせなかった。だからと言って徹底抗戦派も「今から勝つ」とは言えない。そこで「聖戦貫徹」と言い出した。そして、何がどうなれば「貫徹」なのかわからないので、何をどうしてよいかわからないまま、原爆を落とされた。もちろん、「聖戦を続ける必要があるのか」との議論など許されなかった。  菅首相に提案する。一度、「コロナなど、ただの風邪にすぎない」との仮説で検証してみてはどうか? 政府では一度、「ペストのような危険な伝染病だ」との観点で検討した。ならば、逆の視点でも議論するのが科学的態度だ。  そうすれば、おのずと正しい政策は見えてくるだろう。  明治時代は、政治は人文科学だった。現に東大などは、政治学科を法学部ではなく、文学部に置いた。官僚の専門は社会科学、医者の専門は自然科学であり、ある目的(たとえば命を救う)に向かっての合理性を学ぶ。それに対して、政治家は、官僚や医者が向かうべき目的を示す。  総理大臣にとって最大の仕事は何か。国民がどこに向かうのかを、指し示すことである。  誰かが決めた目的に振り回されるのは、政治ではない。
1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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