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死亡説が流れたアントニオ猪木は、未だ夢を持ち続け、なりふり構わず生きている

昨年、ダイヤモンド・プリンセス号に乗り込もうとしていた

 去年の今頃、私は仕事でアントニオ猪木にインタビューする機会を得た。その時既に猪木の体調は芳しくなさそうだったが、件の動画の様子と比較すると、1年で猪木の健康は非常に悪化してしまったようである。
KAMINOGE vol.100

アントニオ猪木にインタビューした「KAMINOGE vol.100」(玄文社)

 このときのインタビューで、猪木は当時、乗客からコロナウィルスの感染者が発生して、横浜港に隔離停泊中だった豪華客船、ダイヤモンド・プリンセス号に、ボートで乗り付けて訪問するつもりであったが、周囲の猛反対に遭って断念したと語り、私は度肝を抜かれた。  この計画が実現していたらどうなっていただろう? きっと囂々とした非難が世間に巻き起こったことだろう。しかし、そんな状況を想像すると、私は痛快さを覚える。そして、心がとても軽やかになって、にやけてしまう。猪木は世間が何を言おうが気にしない。猪木の口癖は「言いたいやつには言わせておけ」である。  コロナ禍とオリンピックの開催が重なってしまった日本で、この1年に聞こえてくるニュースと言えば、足の引っ張り合いやら、利権に群がる人たちやら、立場が違う一般の人同士が激しく反目し合うニュースだとか(それもとても些細な問題で)、「〇〇警察」と言う言葉に代表されるように、お互いがお互いを監視し合うような社会の様子だとか、非常に窮屈なものばかりだ。こんな時にこそアントニオ猪木のような別次元のスケールを持った存在は、私たちの凝り固まったものの見方を変えてくれると思う。

プロレスに対する偏見と戦った猪木の生き様

 話が前後してしまうが、現在の猪木が入院している理由は、腰の手術をしたためである。それはプロレスのダメージの蓄積による後遺症だ。私はこれまで仕事でたくさんの往年のプロレスラーにお会いした。そして現在、多くのレジェンドレスラーが負っている、身体的障害の深刻さに愕然としている。80年代の往年のスター選手の多くが、歩くこともままならない。他のどのスポーツ選手よりも、過酷な引退後の生活を強いられている。
KAMINOGE vol.95

「KAMINOGE vol.95」(玄文社)

 この時代のプロレスラーは、「八百長」というプロレスに対する偏見と最も戦った人たちだ。彼らが現在負っている身体的障害の大きさと、当時彼らが抱えていた偏見に対するジレンマの大きさが、私には重なって見える。プロレスは、プロスポーツとして自立するという点において、これほどガチンコな分野もない。そのためにプロレスラーが払った代償について、偏見に満ちた世間は誰も目を向けようとはしなかった。  今はもうそんな文化はなくなってしまったが、スキャンダラスな話題作りで、世間の耳目を集めて集客につなげるのがプロレスである。かつては「プロレス」という言葉の意味にそのことも含まれていたはずだ。猪木がケレン味に溢れた動画を配信し続けているのは、その手法が体に染み付いているからだろう。それは猪木の生き方だ。その破廉恥とも言える手法は、プロレスが色眼鏡で見られた理由の1つでもある。  しかし、オリンピックにまつわる開会式の話やら、ロゴマークの話やら、アマチュアの競技団体を私物化する人たちの話やら、げんなりするような話のオンパレードと比べて、プロレス的手法の破廉恥さ、猪木が動画で晒した現世的な欲望のなんと爽やかなことだろうと私は思う。私はやっぱり在野にいる人に共感を覚える。
1968年生まれ。構成作家。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をはじめ『ピエール瀧のしょんないTV』などを担当。週刊SPA!にて読者投稿コーナー『バカはサイレンで泣く』、KAMINOGEにて『自己投影観戦記~できれば強くなりたかった~』を連載中。ツイッター @mo_shiina
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