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レジ袋の有料化は義務ではなかった。政府の言いなりになる危険さ/倉山満

法的な強制力もない「お願い」のはずなのに

 別に私は、「環境問題などどうでもいい」「プラスチックなど減らさなくてもいい」などと、一言も言っていない。それはそれで大事な問題だ。だが、一言「環境問題」を持ちだせば、手続きも何も飛ばして政府が国民を統制しても良いとする考え方が危険だと言っているだけだ。  戦時中、東條英機首相は「憲法違反だ」「手続きに問題がある」と指摘されるたびに、「戦争に勝つためだ! 見逃してくれ!」と泣き落とし、それでも言うことを聞かない人間は弾圧、時に死に追いやった。まだ戦争に勝てたのなら救いがあるが、結果は敗戦で国中が焼け野原になった。政策の検証がなされないまま、政府が暴走したなれの果てだ。  今のコロナ禍も同じだ。「未知の伝染病に対処しなければならない!」との大義名分を批判する者はいない。史上初の「国家経済そのものを止める」との試みにも、国民はよく協力した。マトモな補償もないし、そもそも法的な強制力もない「お願い」「要請」なのに。

大義名分のもと、国民は飼いならされた羊の如く言いなりになる

 ところが、コロナ禍も3年目。いったい、何の為に自粛を続けているのか? ちなみにマスクもワクチンも、何の法的強制力もない「お願い」「要請」にすぎないが、いったい何の為にやっているのか、政府が説明している文書を誰か提示できるのか。そして、いつまでこれを続けるのか。  東條英機も「戦争に勝つ」と絶叫していたが、何がどうなったら戦争に勝ったことになるのか、一度も説明をしたことが無かった。大戦末期、誰の眼にも敗色濃厚となった時期には「聖戦完遂」を言い出した。もはや何が「完遂」なのかを聞くのも愚かしい状況だったが、「いいかげんにこんな戦争やめてしまおう」と一言でも言えば、良くて刑務所、悪ければ家を焼かれるか殺された。今のコロナと同じだ。  コロナ禍の日本政府の政策は、褒めるところが難しいほど愚策の連続だ。国民の驚異的な忍耐によってのみ、死者や重症者の拡大を防いでいる。しかし、その国民が政府を甘やかしているので、いつまでたっても愚かな自粛が終わらない。  結局、戦争もコロナもレジ袋も、根っこは同じなのだ。「戦争に勝つ」「伝染病を防げ」「環境問題だ」などなど、もっともらしい大義名分を掲げれば、国民は飼いならされた羊の如く言いなりになる。
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批判不能な権力は、絶対に腐敗する
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1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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