更新日:2022年08月21日 18:34
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大河ドラマ『どうする家康』の前に知っておきたい怖い話「江戸城に隠された秘密」

恋の病に倒れた娘

 では、明暦の大火の出火原因は何か。一説には恋わずらいでこの世を去った娘の振袖が火元だといわれている。  大火の4年前の承応3(1654)年春、上野の山が花見客で賑わう頃、浅草諏訪町で紙商を営む大増屋十右衛門の娘・お菊が恋に落ちた。花見の途中、紫色の着物を着た美しい若者とすれ違い、ひと目惚れしたのだ。17歳の娘の胸に芽吹いた恋心は、瞬く間に燃え盛り、彼女の胸を焦がした。  やがてお菊は食べ物も口にしなくなり、床に臥せってしまう。急速に衰弱していく娘に、家族は若者が着ていたのと同じ紫色の振袖を買ってやったが、お菊はその振袖に想いをつのらせながら息を引き取った。  家族は本郷丸山の本妙寺でお菊の葬儀を営んだ。その際、紫の振袖も娘の遺体とともに焼いてもらった。

焼いたはずの振袖が再び現れる

 1年がたち、家族がお菊の一周忌に寺を訪れると、別の若い娘の葬儀が行われていた。その棺を見た十右衛門は目を疑った。というのも、棺の上に自分たちが焼いたものと同じ振袖がかかっていたからである。  それだけならまだ偶然といえた。しかし、三回忌でもまた同じことが起きた。やはり違う娘の葬儀が行われていて、同じ振袖が棺の上に置かれていたのである。  寺に問いただしたところ、振袖は十右衛門らがお菊に買ったものだということがわかった。実は、寺の下働きの者が葬儀のたびに「焼くのはもったいない」と転売していたらしい。  転売先で振袖を買った二人の娘は、お菊の死を真似るかのように同月同日に死んでしまった。  あの振袖には報われぬ恋に苦しんだ乙女の情念が宿っているのだろう——。そう考えた3人の娘たちの家族は、住職に振袖の護摩供養を依頼した。

3人の娘の想いが炎となる

 護摩供養の当日、振袖は火にくべられた。紫に染められた生地が赤い炎に包まれたときであった。立っていられぬような突風が吹き、振袖は宙に舞う。そして火の粉を散らしながら本堂に移り、たちまち屋根を焼いた。その後、北風が吹き荒れ、火を江戸の街へと運んだのである。「あの人はどこに。どこにいるの」というお菊の想いがそうさせたのか、振袖から放たれた火は江戸市中にくまなく広がっていった。  それから3日間、江戸の街は阿鼻叫喚の地獄と化した。民衆は火と煙に追われ、逃げ場を失い息絶えた者たちが次々と折り重なったという。  火が鎮まった後、お菊たち3人の娘の話を耳にした人々は、この大火を「振袖火事」と呼ぶようになった。被災した江戸城は再建されたものの、ふたたび天守が築かれることはなかった。
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ホントは怖い日本のお城

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