更新日:2022年08月21日 18:34
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大河ドラマ『どうする家康』の前に知っておきたい怖い話「江戸城に隠された秘密」

大奥に開かずの間が?

江戸城の見取り図

 天守を失ったあとも、江戸城は常に幕府の政の中心として機能しつづけた。男と女、さまざまな思惑の人間が蝟集する城は、それ自体が一種の伏魔殿であった。  5代将軍・徳川綱吉の時代にはこんな逸話が残されている。  30年近くも将軍職にあった綱吉が身罷ったのは、宝永6(1709)年のことであった。死因は麻疹とされたが、大奥の女では不吉な噂が立っていた。 「公方様は宇治の間で御台所様に刺されたのじゃ」  綱吉の正妻である信子は、綱吉の生前、将軍職を継ぐのは誰か、そのことで思い悩んでいた。綱吉には側近である柳沢吉保の子を養子に迎え入れるという考えがあったが、その男子を産んだ吉保の側室はかつて綱吉の愛妾であった。つまり、養子にする子は実は綱吉の実子であった。  跡継ぎを産んでいなかった信子はこれに焦燥した。そして大奥の宇治の間で、綱吉を刺殺したというのである。  噂はあくまで噂でしかない。しかし奇妙なことに、信子は綱吉の死後、あとを追うようにして世を去っている。それ以来、宇治の間は人を寄せ付けぬ、開かずの間となったという。

奥女中の亡霊が!

 それから150年。12代将軍・家慶は宇治の間がある廊下で奇妙な老女を目にする。  老女は家慶が来るのを待つように床に手をついていた。気になった家慶は、側仕えの女たちに「さっきのあれは誰か」と聞いた。しかし、女たちは「おそれながら、あれとはどなたのことでしょうか?」と返すだけであった。 「そなたたちには見えなかったのか」  夏だというのに悪寒を感じた家慶は、これが災いしたのか昏倒し、そのまま息を引き取ったと伝えられている。  家慶が見たのは誰か。大奥でまことしやかに囁かれたのは、あれは信子が綱吉を刺し殺したときに助力した奥女中の亡霊ではないか、というものであった。  実は大奥には、この亡霊が姿を現すとき、必ず凶事が起こるという言い伝えがあったのであった。
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ホントは怖い日本のお城

怪奇伝承や伝説に焦点を当てたもうひとつの城郭巡り

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