更新日:2022年08月21日 18:34
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大河ドラマ『どうする家康』の前に知っておきたい怖い話「江戸城に隠された秘密」

家康政権の中心だった江戸城

江戸城 嵐の松本潤(38)が主演で話題となっている、23年大河ドラマ「どうする家康」。公式ツイッターでは第4弾出演者発表が行われており、北川景子ら豪華共演陣が発表され、さらに注目を集めている。  家康といえば260年にわたる長期政権の中心、江戸城が思い浮かべられる。現在は皇居跡となっている江戸城がそうであるように、現存していないものも含めるとかつて日本には、3万とも4万ともいわれる城が存在しており、その中には芸術作品としても差し支えないものが多く、現存するものは今でも人々を魅了しつづけ、人気の観光スポットになっていたりする。  しかし、美しい花には棘があるというように、城は美しく勇壮なイメージと相反する一面を有する場所でもあった。戦に敗れて城を枕に自害した武士の怨霊話、城を無事に築くための人柱伝説など身の毛もよだつ怪異譚の舞台でもあったのである。  怪奇・伝承文学研究者である志村有弘氏監修の『ホントは怖い日本のお城』では人気観光スポットの裏面に隠された怪異物語を25話厳選して紹介している。  そのなかから今回は、江戸城にまつわる部分を抜粋する。

大天守を焼いた大火事の原因は3人の娘たちの悲恋だった!?

●大天守を焼いた明暦の大火  江戸城(現在の皇居の一部)は、かつて日本最大級の城郭であった。  その歴史がはじまったのは康正3(1457)年のこと。室町時代の武将・太田道灌が縄張りをし、子城、中城、外城という3つの郭を備えた城を築いた。戦国時代が終盤を迎えた天正18(1590)年には徳川家康が江戸入りし、「天下普請」と称して全国の大名を招集。慶長12(1607)年には大天守を完成させる。  その後、江戸城の天守は2代将軍・秀忠、3代将軍・家光の時代まで移築と改築を重ね、寛永15(1638)年に日本最大の天守である五重5階の寛永度天守が完成した。    しかし、徳川将軍家の威光を背負った大天守は、それから20年を経ずして姿を消してしまう。原因は、明暦3(1657)年1月18日から20日まで3日間続いた「明暦の大火(振袖火事)」である。

江戸の6割を焼いた最大の火災

 100万もの人口を擁する江戸の街は、木造家屋が集中していたこともあり、幕末期までに計10回ほどの大火に見舞われている。そのなかで最大のものが明暦の大火で、江戸の街の約6割を炎上させ、10万人もの死者を出したといわれている。  そして江戸城も被災した。小石川から出火した火災は神田川沿いに広がり、19日には城に燃え移った。  最初に延焼したのは天守のある本丸。窓から火が入り込むと、天守は巨大な松明と化し、石の天守台を残して燃え落ちてしまった。その後、火は二の丸、三の丸を燃やし、結果的に城は壊滅的な打撃を被ったのである。
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ホントは怖い日本のお城

怪奇伝承や伝説に焦点を当てたもうひとつの城郭巡り

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