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疎外されがちなおっさんも、おっさん同士で疎外されないよう必死に生きている

遠山さんの嘘くさいエピソードに疑問を呈し

 もしかしてなんだけど、遠山さんの中学、荒れていなかったんじゃないだろうか。遠山さんもなんとか話題についていこうと必死に荒れていたエピソードを紡ぎだしているんじゃないだろうか。 「校舎をバイクで走るなんてとんでもない無法! どんなバイクで走っていましたか?」  僕のつっこんだ質問に遠山さんが狼狽する。遠山さんの特性から考えてこの狼狽ぶりは間違いない。嘘をついている。 「他になんか荒れているエピソードありました?」 「ガラス割ったりとか、万引きしたりとか、他校に攻めたりとか」  そのへんはまあ、浅井さんや辰吉さんの話題に出たものだ。やはりちょっと具体性というかオリジナリティが感じられない。 「けっこう一般的な荒れ方ですね。もっとこう、うちの中学だけだぞーという荒れ方とかありました?」  遠山さんをけん制しつつ、さらなるエピソードを引き出そうと尋問する。もし、遠山さんが嘘をついているのならここでボロがでてくるはずだ。

おっさんもおっさんの中で、疎外されないよう苦労しているのだ

「うーん」  考え込む遠山さん。 「いままで聞いた中では遠山さんの中学がいちばん荒れていると思います。ですからそれらしいガツンとしたエピソードを聞きたいです」  僕ももっともらしい感じで煽る。僕はこういう煽りが上手い。 「社会の時間に……」  ついに、遠山さん渾身の中学荒れていたエピソードがやってくる。 「社会の時間に天保の飢饉を習ったときに、飢饉に備えるって給食の一部をロッカーにため込みだすやつがいた。それが腐って大変なことになった」  一同が、それは違うだろという視線を遠山さんに投げつける。やべえやつであることには変わりないけど、荒れているとは違うと思う。やはり、遠山さんの中学は荒れていなかったのだ。彼は無理して話題を合わせていたのだ。  僕らはおっさんとしての共通言語を使う。疎外されがちな僕たちは、僕たちのなかで疎外されないよう、それを使う。けれども、その中でも疎外されるようなことがあると途端に焦ってしまうのだ。それでも僕らはその共通言語を使うしかない。間違ってもTikTokみたいな外の言語を使うべきではないのだ。 <ロゴ/薊>
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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