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いにしえのツーショットダイヤル、それは誰からも否定されない優しい世界……のはずだった

おっさんは二度死ぬロゴ_確認用【おっさんは二度死ぬ 2nd season】

絶対に否定されない世界

 絶対に否定されない世界の存在は人格形成において重要な役割を果たす。人は自信がない生き物であり、どこかで肯定される経験を必要とする。それがそのまま自分で自分を受け入れる経験へと繋がる。これは人格形成において重要な役割を果たすのだ。  しかしながら、この世界はそのようにはできていない。むしろ、個々人を否定するように社会システムが構築されている。そこに、幼少期の教育において「否定」を前提に人格が形成されていくと、根っこの部分で自分を受け入れられず、自信を持てない人格ができあがってしまう。  思えば、僕が両親から受けてきた教育もそれであったように思う。思い返すと、両親は幼少期の僕の言動を否定するか茶化すか、そういった教育であったように思う。だから僕はいまだに根本の部分で自分に自信がない。  そんな僕が見つけたのが「ツーショットダイヤル」という世界だった。そこには否定のない世界が広がっていたのだ。  ツーショットダイヤルとは、1990年代に若者の間で人気となったいわゆるダイヤルQ2のサービスだ。簡単に説明すると、雑誌などについている広告に書かれた番号に電話すると、同じくそこに電話をかけてきた女性と繋がり、二人っきりで会話ができるというものだ。男性側は電話代に加えて1分100円だとかけっこう高額な利用料を支払う必要がある。蓄積された高額な利用料が社会問題にもなったことがある。  このツーショットダイヤルが男女の出会いの場として機能していたかどうかは定かではないが、僕がこれを知ったころはもうサービスが衰退し尽くした末期状態で、ほとんど機能はしていなかった。早い話が、満開の桜が咲き乱れている状態だったのだ。  ツーショットダイヤルは男女の出会いの場だと言っても、普通に考えて出会いを求めて怪しげなツーショットダイヤルに電話をかけてくる女性はそう多くはない。むしろほとんどいなかったと思う。すると、こういったサービスは男性ばかりが蠢く状態となり、あっという間に機能しなくなってしまうのだ。  そうなると事業者側はサクラを用意することとなる。バイト代を支払って会話してくれる女性を用意するのだ。男性は高額な利用料を払って女性と会話し、女性はバイト代をもらって男性と会話する。悲しき搾取の図式がそこにあった。  

サクラが横行するからこそ、やさしい世界が構築されていた

 このような状態が当たり前に存在する。それがツーショットダイヤルだった。こっちは純粋に出会いを求めて高額な利用料を払っているのにサクラとは許せん、と憤る人もいるかもしれないが、僕の目の付け所は違った。相手がサクラだからこそ、否定されることのない理想郷が構築されている可能性がある。そこに見出したのは希望だったのかもしれない。  ツーショットダイヤルにサクラがいない世界だったとしよう。そこには否定の世界が待っている。男性側は利用者が多い。すると希少な女性に殺到する。女性は選ぶ立場だ。そうなると、声の感じがいい、会話が面白い、イケメンっぽい、金持ち風味、そういった内容で篩い分けられることとなる。選ばれる男性は少数であり、大部分の男性は「否定」されることとなる。  しかしながら、相手がサクラだった場合はどうだろうか。こういったツーショットダイヤルのサクラはほとんどが成功報酬だったときく。つまり、相手に金を使わせれば使わせるほど報酬が増えるわけだ。そこに否定はない。会話を長引かせるために何でも肯定する世界が広がっているのだ。僕はその「絶対に否定されない世界」こそが重要だと考えていた。  ツーショットダイヤルを渡り歩く日々が続いた。  前述した通り、この種のツーショットダイヤルは利用料が高額だ。ちょっと話し込むだけで何千円、何万円と利用料が膨れ上がってしまう。それを避けるため、初回サービスに目を付けたのだ。当時はツーショットダイヤルサービスが乱立しており、ちょっと怪しげな雑誌を買えば狂ったように広告が掲載されていた。業者側も新規ユーザー獲得に熱心で、初回利用時は15分無料だとか、3000円分が無料だとかそういったサービスを行っていた。それを渡り歩けば利用料はかからない。初回荒らしというやつだ。  「あのさ、おれちょっと変わっているんだけど聞いてくれるかな」  そこには絶対に否定されない世界が広がっていた。どんなにマニアックな性癖を繰り出そうとも、どんなに面倒なことを言いだそうとも、受け入れられるのだ。  「うんうん、へえー変わった性癖だね。でも、なんだかちょっと分かるかも。わたしもその気があるのかな。もうちょっと話を聞いてみたい」  そうやって会話を引き延ばそうとしてくる。もしこれがサクラでない一般ユーザーであったならばこうはいかない。(うわ、きしょ)と思われてそのままガチャ切りである。否定である。それがないサクラの世界がいかに素晴らしいか、その価値は計り知れない。
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全てのツーショットダイヤルをやり尽くしてしまった僕は……
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テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――


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