ライフ

「人生であと5回しか会えない」。母親のために里帰りしたおっさんの葛藤

街に残っている、ある女の「伝説」

 たった一人、この町の出身ではない僕を置き去りに店内は盛り上がり、昔話のボルテージが上がっていく。その中でも一番ホットな話題が、この街の伝説的な不良である「カミソリ弓子」を探したエピソードのようだ。ちょっとそれは興味深い。  ヒデさんが中学生の時、この街にはカミソリ弓子という凄まじいスケ番の伝説が残っていた。その伝説のスケ番が街を出ずに大人になってもこの街に残っている。不良少年だったヒデさんやガンテツ、アロエ泥棒たちは憧れ、探しまくったそうだ。けれども、カミソリ弓子はその伝説だけを残して消えており、一切の痕跡を残していなかった。誰に聞いてもそのことは口にしたがらなかったらしい。 「ほら、それでね、角の野々上さんが下の名前が弓子でしょ、だから絶対にあの人がカミソリ弓子だって言ってヒデちゃんがね、大量のカミソリをポストに入れたの」 「そうそう、カミソリ弓子なら絶対にカミソリを見たら投げずにはいられないってね」  どういう気性をしているんだ、カミソリ弓子は。それに、ポストに大量のカミソリを入れる、それはもうただの脅迫行為だ。やられたほうはたまったもんじゃない。 「大騒ぎになってなあ。駐在まで来たんだよな」 「結局、カミソリ弓子の伝説は伝説のまま。本当に存在したのかもわかりゃしない」  アロエ泥棒がサングラスを光らせながら思い出に浸る感じでかっこつけてそう言った。アロエ泥棒のくせにかっこつけて言っていた。 「それはそうと、ヨシ坊は結婚したんだって?」  ヒデさんが思い出話を切り替える。今度はヨシ坊の話題で大盛り上がりだ。その時、僕は気づいてしまったのだ。  ひょっとして、ヒデさんはわざとここでの思い出話を引き延ばしているのではないか。ここで延々と盛り上がることで、帰りのバスと電車と新幹線の時間が迫る。あああ、せっかく来たのに母親に会う時間がないなーとやるつもりじゃないだろうか。絶対にそのつもりだ。 「ヒデさん、そろそろ、時間が」 「ヒデさん、お母さんに会う時間がなくなりますよ……」  盛り上がる昔話の間隙を縫ってヒデさんに耳打ちするのだけど、聞く耳を持たない。とにかくヨシ坊が入学式でおしっこを漏らした話で大盛り上がりだ。

お母さんとはあと何回会えるのか

「ヒデさん……」 「うるせえ! いま盛り上がってるだろうが! 後にしろ!」  あまりに僕がしつこいものだから怒ってしまった。絶対に引き延ばすつもりだ。結局、そうこうしているうちに帰りのバスの時間になってしまった。 「いやー予想外に盛り上がってしまって実家に寄る時間が無くなってしまったな」  すっかりと暗くなってしまった新幹線からの景色を眺めながらヒデさんはそう言った。絶対に確信的であったはずだ。生まれた町に降り立ったら急に怖くなって会いたくなくなったんだろう。怖くなったんだろう。 「はあ、母親に会えたとしてもあと4回か」  おまけに、もう10年は帰らないことがヒデさんのなかで確定している。あと、やはり、自分は100歳まで生きるつもりだし、母親は130歳まで生きる予定らしい。さすがに130歳は難しいんじゃないか。  新幹線から見える闇の中に少しずつ店の看板だとかネオンが混じるようになってきた。そこでヒデさんがポツリと言った。 「カミソリ弓子な、うちの母親だったんだわ」  カミソリ弓子を探し求めたずっと後のこと、ひょんなことから母親を怒らせたところ、尋常じゃない怒りっぷりを見せ、カミソリをもって追いかけてきたらしい。 「弓子って名前じゃないから油断していたんだけど、あとで父親に聞いたら確かにカミソリ弓子らしい。なんで弓子なのかは知らん」 「そのときはあまりの恐怖に隣町まで逃げたんだけど、カミソリ持って17キロくらい追いかけてきたからな」  どういう気性をしてるんだカミソリ弓子は。そんな弓子がヒデさんの母親ならば是非とも会ってみたかった。 「そんなバイタリティ溢れるお母さんなら130歳まで生きるかもしれませんね」 「あと4回か……」  新幹線の車窓から外を除ヒデさん。窓に反射したその表情はなんだか少し寂しそうだった。 <ロゴ/薊>
テキストサイト管理人。初代管理サイト「Numeri」で発表した悪質業者や援助交際女子高生と対峙する「対決シリーズ」が話題となり、以降さまざまな媒体に寄稿。発表する記事のほとんどで伝説的バズを生み出す。本連載と同名の処女作「おっさんは二度死ぬ」(扶桑社刊)が発売中。3月28日に、自身の文章術を綴った「文章で伝えるときにいちばん大切なものは、感情である 読みたくなる文章の書き方29の掟(アスコム)」が発売。twitter(@pato_numeri

pato「おっさんは二度死ぬ」

“全てのおっさんは、いつか二度死ぬ。それは避けようのないことだ"――

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