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かつての中国の最高指導者・江沢民が死去。一時代を築いたその堅実さ/倉山満

「世界征服」を本気で目論んだ現代中国の祖・毛沢東

 江沢民、死す。かつての中国の最高指導者が、96歳で死去した。
’97年10月、共同記者会見に臨む当時の江沢民主席(左)とクリントン米大統領

’97年10月、共同記者会見に臨む当時の江沢民主席(左)とクリントン米大統領。米中協調の枠組みづくりを本格化させるなど、国際社会における中国の確固たる地位を築いていった 写真/時事通信社

 現代中国は、毛沢東から始まる。毛沢東は、共産党に入党するや、権力闘争に勝ち抜き、反対派を全員粛清。中国国民党の弾圧から逃れ、中国全土を「抗日戦争」に持っていく。米英ソといった大国をも巻き込み、大日本帝国をユーラシア大陸から追い出すや、国民党との血みどろの「国共内戦」に勝利。中国共産党による一党独裁の中華人民共和国を建国した。その後は、百家争鳴、大躍進、文化大革命と、数千万とも一億とも言われる人民を死に追いやった。それでいながら「世界征服」を本気で目論み、国際社会への工作に余念がなかった。事実、毛沢東の時代に五大国の一角に食い込み、共産主義のイデオロギーを同じくするソ連を裏切った。

毛沢東、鄧小平を継ぐ、第三の指導者・江沢民

 こうした毛沢東を継いだのが、鄧小平である。共産主義とは「世界中の政府を暴力で転覆し、地球上の金持ちを皆殺しにすれば、全人類が幸せになれる」との、狂気の思想だ。毛沢東ほど狂気を実践した人物もいないが、その毛沢東の支配下で鄧小平は「黒猫であろうが白猫であろうが、ネズミを捕るのが良い猫」と現実主義を唱えた。当然、毛沢東に睨まれて何度も失脚した。しかし、そのたびに這い上がり、毛沢東死後の権力闘争を勝ち抜き、その後継者の地位を襲った。米ソ冷戦時代、鄧小平の中国ははっきりとソ連を敵に回しアメリカに味方した。結果、冷戦において中国は勝ち組となった。鄧小平は中国共産党の支配はそのまま、事実上の資本主義を導入する。  毛沢東、鄧小平を継ぐ、第三の指導者が江沢民である。

エンジニアから「上海閥」のボス、そして国家主席に

 江沢民は1926年生まれ。’46年に、国共内戦中の、共産党に入党。’47年に上海交通大学を卒業後、エンジニアとなった。だから、「抗日戦争」や「国共内戦」の際には指導的な地位にいない世代である。  ’82年からは政治家としての道を歩み、’85年からは上海市長を務め、頭角を現す。後に「上海閥」のボスとなる第一歩だ。ちなみに中国では、選挙が実質的に存在しないので、政治家と官僚の区別はない。  1989年6月4日。民主化を求めた学生が大規模デモを起こした。天安門事件のはじまりである。鄧小平は鎮圧を決断、軍隊をも動員して民主化運動を許さなかった。  混乱の中、鄧小平は江沢民の抜擢を決意。6月23日に党総書記、11月に党中央軍事委員会委員長に選ばれることとなった。さらに、’93年に国家主席に。
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江沢民に毛沢東や鄧小平のようなカリスマはないが、その堅実さで時代を築いた
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1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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